私が現場に行く理由と、終わりという未来の話

私は全通ができるわけでもない、弱いオタクです。

そう言ったら角が立つと分かってるけど、敢えて言います。この「弱い」は自分に向けた言葉だから。そのことが悔しいときもあるけど、自分にできる精いっぱいで応援したいなって思ってる。

そして少しずつ、めせもあ。を追いかけて、私の行動範囲が広がっているのは確か。まとまった期間がないと交通費を躊躇っていた遠征も、0泊3日の東京行きや愛知への日帰りでするようになった。むしろ宿泊費かからないんだからお得じゃん。親と一緒じゃない海外旅行も初めてで、韓国に行くのだって初めてだった。5ヶ月で現場に足を運んだ回数は10回を越えて、しかもそのうち2回を除けばすべて遠征。
こんなに早いペースで現場に通ったジャンルはなかったし、私を沼に突き落とした友達も驚いてた。

中学生の頃から、自他共に認めるアイドルオタクだったものの、ガリ勉学校&箱入りのダブルコンボで在宅を極めていました。ライブなんて、人生で何回かしか行ったことなかった。LV(ライブビューイング)は結構行ったことあったけど。そんな私が毎週末のようにライブに行くことになるなんて、想像もしていなかった。

なんでそんなに通うのか、って聞かれることがある。
会いたいからだよね、話したいからだよね、見たいからだよね。
もちろんそんな彼らの魅力は理由のひとつだけれど、それ以上に私を突き動かしているのは、見ることすらできなくなってしまうことへの不安と、そうなった時に後悔したくないからだ。



私が見たアイドル(やそれに準ずる)グループの終りのなかで、特に記憶に残っているものは三つある。
敢えてグループ名は出さないけれど、分かる方がもしいたら、そっと頷いていてほしい。

一つ目は、音楽性の似た若手俳優二人がタッグを組んだユニットだった。

私が初めて、リリイベや握手会に行ったユニットだ。
三つ目に挙げるグループの解散の直後に結成が決まったから、ユニットを組んだ瞬間から追いかけることができることが、とても嬉しかった。ずっとDVDやYouTubeニコニコ動画で見ていた舞台上の存在だった彼らが、目の前にいることが本当に幸せだった。一、二言だけでも交わすことのできた言葉が嬉しくて、長い長い手紙を書いた。シングルにアルバム、TV番組とのタイアップと波にも乗っていた。

アイドルってわけじゃないし、ロック系の曲調だから、長ければ30年くらい、短くても10年は続けられるよね?

けれど、わずか一年半で、そのユニットは活動中止を発表した。理由は分からない。片方のメンバーのブログはサイト自体がなくなった。

悲しむこともできなかった。ただ、突然、消えてしまった。
いつかまた、会えるのかな。四年たった今でも淡い期待はなくしていないけど、たぶん、一生見ることはできないだろうという予感はある。少なくとも、まだ表舞台に立っているもう一人のメンバーも確実に年を重ねていて、あの頃とは見た目も大きく変わってしまった。
顔ファン、って訳じゃないけど、もう絶対に同じ景色は見られない。それは、どんなグループでも同じこと。いつか再結成しても、今と同じ姿で見ることは絶対にできない。今は、今しかないんだって、当たり前のことを私は知った。



二つ目は、国民的アイドルグループに成長した9人組女性声優ユニットだった。
解散が決まってから映画でその伏線になるようなストーリーを展開したり、紅白に出演したり、ゆっくり解散を受け入れる時間を作ってくれた。でもその頃には、会いに行くには、あまりにも大きくなりすぎていた。

中高生の間から、ずっと大好きなグループだった。それこそ初期の、アニメ放映前。アイ○スとどう違うの?なんて言われながら始まったこと。知名度の低い声優さんばかりだったのに、アニメ化されて一気に人気になったこと。二期やゲームの展開で、一般の人にも広く知られるようになったこと。

その歩みを見ていたから、もう少し続くとどこかで思ってた。声優さんだから、他の女性アイドルより寿命は長いし。こんなに人気だし。ゲームもあるし。だから、いつか行けたらいいな。
そう思ってたら、解散が決まってしまった。高校生の三年間をモデルとしたアニメだったから、必然だったのかもしれない。ただ私が、その可能性から目をそらしていただけ。必死にチケットを当てようとした。円盤を積んで、友達と協力して出した。でも、当たらなかった。
なんでもっと早い段階で行かなかったんだろう。後悔してもしきれなかった。結局、LVで解散ライブを見に行った。

ぐうの音も出ないほど、美しい終わり方だった。アニメのストーリーと同じように終わりを迎えて、人気の絶頂で舞台を降りていく。きっと、アイドルとしては最高の結末。

でも、私のなかには大きな空白が残った。それは、大好きなグループがなくなったこともあるけれど、それ以上に、一度も生で見ることができずに終わった、どうしようもない後悔だった。




最後に挙げたいのは、時期的には前の二つのグループの終わりより、さらに前にあった出来事だ。それでもこのグループのおかげで、今の私は現場に行こうという気持ちが一番強くなっているから、敢えて最後に書かせてもらいたい。

それは、知名度をあげるために駆け出しの若手俳優を集めたグループだった。
彼らの多くはテニスのようなバトルをするミュージカルを代表作としていて、私たちがそのグループを知った頃には、そのミュージカルの出演を終えていた。年齢的にリアルタイムで追うことはできなかったけれど、歌もルックスも曲もとても素敵なグループだった。
でも、そのグループの人気は、過去の代表作を越えることはできなかった。

新しい道に進むとか、個人での活動が忙しくなってきたとか、たくさんの理由が語られた。一つ目のグループのような理由が分からないわけでも、二つ目のグループのような人気の絶頂でもない、曖昧な理由。
どちらにせよ、私たちがそのグループを本格的に推し始めた頃には解散ライブが決まっていた。
解散すると分かっているグループのCDを集めた。せめて一度でもライブが見たいと解散ライブの日程を調べたら、ちょうどハワイ旅行から帰国する日だった。どうやっても、行けなかった。
解散が近づいて更新されるブログ、発表される新曲、全部、全部が哀しくて、でも、好きだった。今でも大事にとってあるし、曲も、歌詞も覚えてる。微妙に離れた年齢のせいで、私と彼らの時間は交わることはなかった。

雨男のリーダーを持ったそのグループの解散ライブは、暴風雨だった。ハワイから帰国する飛行機は悪天候に巻き込まれて、なかなか着陸できなかった。ブツブツに途切れた、ニコ生の解散ライブを泣きながら見たことを、私は絶対忘れない。



この教訓を生かして現場に行ったけれど立ち消えてしまった一つ目のグループ、教訓をいかせずに現場に行かなかった後悔の残った二つ目のグループ。


その記憶が、私が現場に向かう背中を押す。





最後に挙げたグループの、ラストシングルの作詞は私の推しで、リーダーだった。ラストシングルの歌詞を、今でも鮮明に覚えている。

『はじまりあれば終わりあること 本当は誰もが知ってて』

明るい曲調に乗ったサビのこの歌詞がすごく悲しくて、今思い出しても心が辛くなるけれど、私のなかにはっきりと刻まれている。
オタク人生の教訓だ。

必ず、終わりは来る。忘れちゃいけない。

例えば、ジャ○ーズのようにTV出演がメインで長時間のライブの回数も少ない、比較的寿命の長い男性アイドルグループでも、40代を目処に終わりを迎える。考えたくないことではあるけれど、私は、いつも考えている。あと何年、続けてくれるのかな、って。

もう、これ以上大好きなグループの解散の瞬間に、後悔したくない。これからの人生が幸せでありますように、って、泣きながらかもしれないけど、笑顔で送り出したい。

それは、自分にできる限り、自分で満足できるくらい現場に行かなければできないことなんじゃないかと思うんです。




私は、多少曲やメンバーは知っていても、℃-uteのオタクではなかった。でも、彼女たちの解散ライブや、それを見たオタクたちの反応を見て、今までの後悔をたくさん思い出しました。
そして、自分が現場に足を運ぼうと思う理由も。

めせもあ。は特別なグループです。現場に行けるだけじゃない。たくさんお話しする機会があって、歌やダンスはもちろん、それだけじゃなくて直接勇気や元気をもらえる、そんなグループ。会いに行くハードルは手の届かない高さじゃない。
だから、私は何度だって会いに行きたいし、会いに行くと思います。




もし明日、貴方の推しグループが明日解散したとして、貴方は後悔しませんか。

悲しい、寂しい、はもちろんあると思うけど、そうではなくて、後悔、しませんか。




実は、今の私は、悲しくて辛いと思うけど、もしもしもしもし推しグループが明日解散しても、後悔はしません。自分にできる範囲、行ける範囲の現場は全部行っているから。

行けない現場も検討に検討を重ねて諦めてる。妹に何回も同じ交通機関を検索しているところを見られて、諦めが悪いって笑われながら、でもそうやって調べ尽くして諸々の理由で行けなかったことは、自分で納得できるから。

後悔するとしたら、もっと早くからめせもあ。のことを知らなかったこと。でも、昔のことは言い出してもきりがないし、そんな後悔を吹き飛ばすくらいの思い出が、もうできています。

これは、現場に行きませんか、という薦めです。
ジャンルは問いません、それでも、大切なものがなくなったときに後悔しませんか、という問いです。




『はじまりあれば終わりあること』

誰もが知ってること、貴方は忘れていませんか。