横浜の海より帰る

読み返してみたら、前のブログとすごく矛盾しているかもしれないと思ってしまった。でもこれは一オタクのその時の感情の記録なので、正直なまま、残しておこうと思う。どちらも私の本音のはずだ。



『Message More』
白服さんがあの日初めてそう言った時、バイトの帰り道に生放送を見ていた私は、涙が止まらなかったことを覚えている。
これから、もっとたくさんの言葉を届けられるんだということ。これからも、もっとたくさんの言葉を聞けるんだということ。
私にとって言葉の価値が重いことはもちろんだけれど、私はめせもあのみんなの言葉がだいすきで、めせもあのために紡がれた言葉がだいすきで、メンバーとファンを思う優しさと、誰も傷つけないのにてっぺんを目指す力強さをあわせもった愛のある言葉たちが本当に大好きだ。

ホルツは、言葉の波に揺さぶられたツアーだったと思う。どうしたら辿り着けるかも分からない高すぎる目標、変わる環境に順応しきれないファン、制度や組織の変更が後手に回る対応。たくさんのかなしくなる言葉を聞いた。そして私も、間違いなく発した。
ファンとメンバーが木を組み、帆を上げてたどり着いた初中野から、全国を回って大きな大きな船ができたのに、大きすぎて出航できないような。少しでもその船の背を押したくて、このブログを開設したことを思い出す。私は47からの新規だから、その船ができるまでどんな苦労があったのかわからないけど、当時の曲が今でもとてもとても好きだから、その時間にあふれていたんだろう優しさや夢は計り知れない。
この大きな船はどこに行くんだろう。迷路のような入江をぬけて、TDCHの座席についた時、あぁ、今度こそ大海原にでていくんだと思った。その先で沈むのか、そこで留まるのか、あるいは前に進むのかわからない。そう思っていた。

とみたけさんの言う通りだったね。ホールツアーは完売したけれど、私はパシフィコがこんなに早く完売するとも思わなくて、こんなにたくさんのファンがいることを知らなくて、こんなにたくさんの後輩や仲間ができたんだって、公演を観て思ったんだ。
水兵だった彼らはいつしか立派な船乗りになって、佐官以上にしか許されない肩章に、堂々とした真白の軍服を着ていて、すごく、格好良かった。
もうオタクが船を押さなくても、風を起こそうとしなくても、きっと前に進んでいく。3000キャパのTDCHから5000キャパのパシフィコまで8ヶ月しかかからなかったのだから、10000の大台はもう見えるところまで来ているね。

誰もが思っただろうことを言う。
オープニングがオーロラで、ラストがパシフィック展望台で、みんな感動で涙の嵐でおしまい。
そんなステージを頭に描いていた。そうすれば絶対オタクは泣くし、パシフィコに辿り着いたことを実感して歓喜する。

なのに彼らはそうしなかった。泣き虫の私が、ほとんど泣かずに終わったの。うそ、ほとんどではないけど。
本当に嬉しかった、予想はしてたけど、初めて振りのついたパシフィック展望台を見て、さっき外で見た横浜の海を思った。オーロラを聞いて、何度も入った寿司詰めのライブハウスを想った。こんな大きな会場で見ることができるのが嬉しくて、あぁ、今日という日は、いつかめせもあ。が武道館に立つ時に語られる歴史の分岐点になるんだと、今そこに、立ち会ってるんだと実感して、少しだけ泣いた。でも、ほとんど笑ってた。

ここが終わりじゃない。ここがてっぺんじゃない。
私はこのセットリストは、そういうメッセージだと思ったよ。ここからがはじまりなんだ、って。しんみりしてる場合じゃないんだって。ここからてっぺん目指して、走っていくんだ、って、そうきこえた。

感動を作ることは、意外と容易い。苦難の過去、乗り越える今、華やかな未来、それらを飾って美しい言葉で彩って演技をすれば、人の心をある程度なら動かせる。それが芸術だ。芸術にある程度の鉄則があるのには理由がある。
なのに彼らは、いくらでも感動を作ることのできる馬鹿でかい会場で、等身大のまま一発芸をして、ステージから全員降りて壇上ではスタッフが清掃するなか、高さ6階にもなる後部座席までボールを渡しにいって、オタクに合唱をさせて、どんだけ自由なんや、って思ったよ。
それから、彼らを応援したくなるのはこれが理由なんだ、って分かった。

現代日本にはたくさんたくさんアイドルがいて、私も他にもたくさん好きなアイドルがいるのに、なぜかめせもあさんを特別応援したくなってしまうのは、彼らが等身大だからなんだろうな。高校野球の観戦のような、子鹿が立つのを待っているような、倒れそうなあと一本のボーリングのピンを、見つめているような。
うまく名前をつけられなかったこの感情の答えを教えてくれたのは、すごく意外なことにとみたんだった。
「俺はね、アイドルとオタクの関係じゃなくて、人と人との関わりだと思ってるから(営業とかできなくてごめんね)。」
生誕祭で彼がそう言ったのを聞いて、とても腑に落ちた。
いつからだろう、推しを、とみたけさんを、いや、とみたんだけじゃなくてめせもあ。というグループのことが、アイドルとして成功してほしいっていうよりも、幸せになってほしいと思うようになっていた。自分が何かを欲しい、と思うんじゃなくて。
ファン、という呼び方の方が近いのかな。ジャイアンツのファンとかいうし。でも、野球は勝利=幸せに限りなく近いけど、アイドルっていう職はそうじゃない。だからすごく漠然としているのだけど、なんていうんだろう、みんなに笑ってキラキラしていてほしい、そんな感情。

それは、オタクがアイドルに抱く感情でありながら、人が人に幸せを願う感情だったんだね。
メディアを通して校正されたり省略されたりなんかしない、理解が難しくても誤字だらけでもひらがなばかりでも、間違いなく彼らが紡いだ言葉がリアルタイムで私たちに届く。気取ろうとするよりも、自らダサいところや風変わりなところを見せようとする。盛れてる自撮りじゃなくてもアップしちゃう。嫌なことは嫌っていう。可愛い、綺麗なところだけを見せる画面の向こうの偶像じゃなくて、同じ世界を全力で生きる彼らに、私たちは魅了されてここに集まったのかもしれないなって、5000人のなかで私は思った。

みんなは、どこで泣いた?
私はMWで泣いた。たくさんリリイベして、ドルイベで手売りもして、超パで無配までした通常版。後ろ半分の空いた地方の会場で、微かな光を探すように泣いていた彼が、昨日は昔の恐れを忘れるように振り払うように叫んでいて、彼はこの曲の答えを見つけたんだって思った。
47以前の曲が少ないセトリだったのは、半分さみしくて、半分うれしかった。彼らはむすめん。がむすめん。であったこと、ここまで船を作り上げたことを決して忘れないだろうけれど、「MeseMoa.」として前に進んでいくんだね。

すごくすごく楽しくて、泣かせる気のないライブ構成で、それでもきっと、みんながどこかで嬉し泣き?懐かし泣き?寂しい涙?悔し涙?わからないけど、涙を零した公演だった気がするよ。作られた感動じゃなくて、私たちとめせもあ。が紡いできた歴史から生まれた感動。一人一人が違うところで重ねた歴史と、異なる思いの先に、それぞれ違うところで自然と感動がうまれる、そんな仕掛けなんだ、って、泣いてから理解した。もうライブも後半だったのに。作られた感動は美しい。でも、生まれた感動は、涙の量はすくなくても、すごくすごくやさしかった。



白服さん、あの場所にいた人たちの歴史には、とっくにめせもあ。は刻まれていたよ。人によって程度の差、感じ方の差はあっても、だからあそこにいたんだよ。

三月の夕暮れの通学路はあすひを、はつなつの朝はさまびを思う。夏果ての帰り道には蝉時雨、大きな舞台に足を踏み入れるとき、パシ展が聞こえるはずだ。何年経っても、きっと、生きている限り。
一緒に見た韓国の街も台湾の空も、クーラーの音の聞こえるBlackRoseのイントロも、暗闇に目を閉じた開演前、流れて来る風の音も私は忘れない。
彼らに出会ってから選んだ舞台、戻った場所、作ったうた、全部私の歴史になった。
記憶力が悪いから一言一句おぼえてはいられないけど、一緒に写った写真や昔のライブの映像を見れば、その時何を話したか、何を思ったか、何を見たのか、昨日のことみたいに思い出せる。いろんなことを話して聞いて、いろんな表情を見て見せた。どうしたらこの幸せを伝えられるのか、どうしたら幸せになってほしいという思いが伝わるのか、どうしたら幸せにできるのか考えた。時間が流れるのが、たのしくてかなしくて、さみしくてうれしかった。
彼らだけで己の世界を満たしてはいけないことは百も承知だし、そうしていない自負はある。それでも、彼らが私に与えた影響は計り知れない。

背中を押してくれてありがとう、たくさんの言葉をくれてありがとう、たくさん伝えさせてくれて、たくさんの言葉を生まれさせてくれてありがとう。
そのおかげで、私は想像もしなかった道を選んで、歩き出すことができています。たぶん、私だけじゃなくて、そんな人たちはいっぱいいるんじゃないかな。

パシフィコで彼らを見届けたこと、パシフィコでのライブの日をオタクとして迎えられたことは、確かにめせもあ。の歴史に居合わせることができたんだと実感した。
素敵なものを見せてくれてありがとう。そう言うつもりだったけど、違ったね。

素敵な場所に、連れてきてくれてありがとう。
素敵なものを、一緒に見てくれてありがとう。

通過点の先に何があるかは、きっとまだ誰もわからないけど、この人たちなら幸せになれるし、ずっと笑顔で、きらきらしていてほしいなって思った夏のはじまりでした。
どんな荒れた海に飲み込まれても、それでも太陽は登ったし、空は晴れたし、お天道様様は見ていたし、向こう側に連れ出された私たちは次の世代に行くんだね。
これからも、変わらない素敵な人たちを応援できたらいいなって思います。その言葉を聞きに、船に乗ります。伝わらなくても構わないけど、言葉を紡ぐことはやめません。
メッセージが増える限り、めせもあ。は生き続けるような気がするから。ただの願掛けなんですけどね。

さくらさくら初めて海に触れた日の

初めてとみたけさんを見たときに、こんなうたを詠んだことを思い出した。私にとって、貴方は初めて触れた海でした。広くて自由で、どこまでも飛んでいけるような。
ねぇとみたん、とみたんにとっての初めての海はどうでしたか。目の前に広がる大海原は、どうだった?


その答えは、これからのライブで知ることができると思うから、私はそれを楽しみにして眠ることにします。

全部全部君とだった?本当に過去形でいいの?そう言わんばかりの満面の笑みの9人が、世界で一番かがやいてみえました。