真逆の糸の雑な考察をしてみた

なんでもありの適当解釈です。矛盾もたくさん。書いてて楽しかったからゆるしてほしい!


【前提】あくまで歌詞ベースに考察していこうと思っている。今回は作詞作曲が共通のクリエイターさんである、SK、MWとの関連性に絞る。そのなかでも、SK、MWを基にしたのだろう解釈は検討しても、真逆の糸のために伏線が引かれているという解釈はしないものとする。ディーラーなどが挟まったことから、SK、MW時点で真逆の糸の構想はなかったと思われるため。
また、過去の映像からの解釈は最小限にとどめる。(※例えばSKの全員のキスシーンは、プロモーションの意図も多く含まれており、歌詞のみからは読み取ることができず、また解釈にブレが生じるため検討から外す。あくまで白服、とみたけ、あおいの三角関係の曲として捉える。)
MV監督が毎回異なるため、共通の意図がないだろうことも理由である。ただし楽曲同様、SK、MWのMVを見ることで印象に残る箇所、今回基にされているであろう箇所(MWのタイトルと同じタイトルの出し方をしているなど)は検討に含めるものとする。



まず『真逆の糸』というタイトルについて考えたい。
「垂らされた糸を掴めるのは一人きり」
二番煎じの歌割りと0:34〜から、最初に糸を垂らしたのは二番煎じと考えるのが妥当。
テーマが「愛」であることからも、愛されようとしていろんな人に仕掛けていく=糸を垂らしたと解釈する。愛で結ばれる、その糸を掴むことのできるのは一人きりと歌う彼は、糸に手を伸ばす人を弄ぶ側である。はずだった。
この糸が「真逆」になるというタイトルになる意味はなんなのか。
一番分かりやすい解釈は、愛されようとして愛してしまった「真逆」である。しかし、このMV中で二番煎じが誰かを愛する描写はほとんど見られない。
そのため少し広げた解釈として、愛されようとしていたが、愛されすぎて苦しみ、愛されることから逃げようとすることになった「真逆」を提示したい。愛を求めて糸を垂らしたのは二番煎じのはずなのに、皆から愛を向けられて逃げようとする、けれど皆から逆に垂らされ、張り巡らされた糸から逃げられなくなる。4:36〜47の演出はそんな風に見えた。

MVは(もちろん)9人が出てくるが、歌詞からストーリーとして読み取ることのできる、またMV中で接触を持っている登場人物は、SKはとみしろの2人、MWのあおとみしろ(クソゲル二人の接触はあるが)の3人である。対して、今回のMVは二番煎じに対して野崎弁当、ノックソ、フォーゲル以外の6人は接触しており、登場人物として生きていると解釈できる。MWで白服、あおいが死ぬことから、時系列的には真逆(1番)→SK→真逆(2番以降)→MWとして考察してみたい。真逆1番にとみたけによる大きな動き、真逆2番にSK・MWを想起させるフレーズがあり、1番と2番の間にSKが挟まることが自然と考えたのでこの時系列。後ほど詳しく記す。
され尽くした考察だろうが、SKはあおいから隠れて愛しあうとみたけと白服、MWは白服・とみたけ・あおいはそれぞれ仲がよかったものの、白服がいなくなったことを嘆くあおいと、白服が死ぬことを止められなかったあおいを責めるとみたけの物語と考える。


「最初からいけすかないやつだった 馴れ馴れしく肩を組み 無邪気によく笑い喋り なんだか恥ずかしい勘違いさせちゃう…」

前述の通り、冒頭では誰にでも親しみやすく勘違いさせるような振る舞いをする二番煎じに多くの人が惹かれていく。(ここで二番煎じに集まる9人は、厳密な意味でのメンバー9人ではなく、「大勢」の象徴と捉える。)
あおいは白服に恋慕の情を抱いているため、白服にちょっかいをかけるような二番煎じの行動に対抗心を抱いたのだろう。

「あんたあいつのなんなのさ」
「さぁ?」

特別な気持ちもなく接していた二番煎じにとって、それは誤解された関係に過ぎない。あおいは襲われているように見えて、その実このシーンで掴みかかっているのはあおいの方からである。縋るような仕草は、もしかすると、あおいから二番煎じにも、愛ではなくとも、好意はあるのかもしれなかった。なぜ誤解されるようなことをするのか、と問うような。

「言えない(見えない?)気持ちに気付いてしまったの」

とみたけは、二番煎じの態度が好意からによるものではないといち早く気付く。ただ、誰でも良いから愛されたいだけ、なのかもしれない。勘違いを誘うばかりの二番煎じの行為に、どちらにせよこちらに向けられる愛はないと気付き、とみたけは去っていく。

MV中には描かれないが、二番煎じに「愛されない」ことを知ったとみたけは、その後同じように二番煎じを「愛さない」ことを選んだ白服に愛され、愛するようになるのではないか。

サビの歌詞は、二番煎じによって引き寄せられた相手からの、二番煎じへの願望だと解釈する。全編通して、二番煎じはサビを歌唱しないからだ。

「触らないで あの子を愛した指で」
「抱き締めて あの子よりも汚して」

二番煎じに向けられる願望は、そんな欲望だけではない。

「笑わないで 何も知らないくせに」
「泣かないで そんな幸せそうに」

だんだんと二番煎じ自身に向けた願望が増え、彼は垂らしたはずの糸によって雁字搦めにされていく。
このあたりでとみたけと白服が愛し合うようになったと考えると、2番以降の歌詞の辻褄があう。「解ける三角形」の白服の歌割りを契機と捉えられるだろう。

「少し奥まった特等席 誰にも見つからない宝石」
「なぁ、なのに解ける三角形」

奥まった特等席で誰にも気付かれずに、人間関係をゲームのように楽しんでいた二番煎じは、皆に愛される宝石のような存在だった。しかし、他人に愛されるよう努めた彼の存在により、真に愛されること、真に愛することをとみたけ、白服は自覚する。彼の存在が仲の良かった白服・とみたけ・あおいの三角関係を崩していく。
網の目をくぐったあおいだけが、二番煎じによって全てが起きていたことを知る。それと同時に、自分が白服に愛されたいと思うように、二番煎じも誰かに愛されたがっていたことに気付く。それなのに、その愛の重さに潰されそうになっていることにも。あおいの叫びは、恐怖というよりも、怒りや悲しみの発露のような気がする。

「見えない結末を辿ってしまったの」

冒頭であおいが二番煎じに掴みかかっていたことから、あおいから二番煎じに会いに行っていたのではないか、またそのことは周知だったのではないか。あおいの声から二番煎じと揉めていることを悟った白服、とみたけ、にーちゃん、気まぐれプリンスは建物の中に入ってくる。それは二番煎じへの情ももちろんあるだろう。建物に入った彼らは、二人を探しているようであるが、どちらかへの怒りなどの表情は読み取れない。
愛されたかったはずなのに、愛してくれている、あるいはかつて愛してくれていた人たちを手にかけていく様は、たしかに先の見えない、予想のできなかった結末だ。
最後にあおいに二番煎じが殴られるところと違い、血の描写などはっきりしたものが描かれていないここでは、恐らく二番煎じは「殺害していない」のではないかと考える。

「あんたにゃ分からねぇだろうな」

自分が白服に対して抱くような愛を、きっと二番煎じは持っていない。愛することを知らないまま愛を求める彼にあおいは言い、二番煎じは自嘲する。

「なぁ」

それは、自問かもしれなかった。
怒りを含みながらも二番煎じが誰を愛しているのか、誰に愛されたいのか問うあおい、二番煎じを想い心配し集まってくる人々。その愛の重さに耐えきれなくなった二番煎じは、あおいから逃げ、彼らの声を聞かなくて済むように気絶させ、一つの部屋に閉じ込める。

「ひた隠し」
「恥さらし」

最後に白服ととみたけから言われるこの言葉は、現実ではなく、二番煎じの想像にも聞こえる。愛されようとしてその糸に絡まり、自らの首を絞めた恥ずかしい人間だ、と。

「あんたが悪いんだからな」
あぁ」

二番煎じが死んだのかは定かではない。あおいは、とみたけと白服との三角関係を壊した相手に復讐をしたものの、とみたけと白服の一度できてしまった関係は崩すことができなかった。そのあと、何らかの出来事により白服が死に、MWの時間軸に繋がるのだろうが、それ以上は不明である。(先に示した通り、MW発表時に真逆の糸の構成はなかっただろうことから、二番煎じがいなくなったことによるMWの時間軸の影響はないはすだからである。)
自分の与えた愛に潰されてしまった悲劇の王子様、二番煎じの物語として解釈を終える。



この曲の第一印象は、ifの世界のアイドル「二番煎じ」だなぁ、という印象だった。MWのあおいくんがifの世界のアイドル「あおい」なら、その対比のような。
ふぁぼやリツイートたくさんしてね!みんなのことが大好き!好きになって!ってどんどん発信してファンを増やすあおいくんに対して、二番くんはどちらかというと普段は淡白な方だと思う。積極的に発信するわけでもないのに、自然とファンが増えていく。
現実のにばんくんはその愛に潰されたり殺しちゃったりはしないわけだけど。そんなにばんくんの愛され性質のようなものが、この曲がにばんくんセンターになった理由なのかな、となんとなく思ったり。失礼だったらごめんなさいめちゃめちゃに褒めています。

結論なんですけど、めちゃめちゃ好きな楽曲とMVでした!早く生で見たいです
あととみたけさんの0:45と4:19の顔が好きです。