タイトル『ニバンセンジ』に関する考察

(※こちらはあるオタクによる歌詞の考察であり、想像による記述になります。ご了承ください。)


ご存知めせもあ。のソロ曲には、今のところメンバーの名前をもじったタイトルが冠されている。

『blue moon』はあおいくんの本名から自然を形容するためによく使用される「碧」をとり、碧い月の浮かぶ情景とロマンチックな恋を美しく歌った歌。
『白い服を君と』は白服さんの漢字を含め、彼のキャッチコピーでもある「君の心を漂白!」と夏の季語でもある白シャツの持つ爽やかさや初々しさを絡めた歌。
『気まぐれプリンス』はぷんちゃんの名前をそのまま使った題名ながら、友達も多くなかった、けれど好きなことには何より真面目なぷんちゃんの彼の人柄のなかに存在する「気まぐれなあいつ(=アイドルとしての気まぐれプリンス)」の出会いによって始まるアイドルストーリーを歌った歌。

『Is there RAL color』はぜっちゃんの名前の音を含み、RALやcolorという色規格に関するワードと歌詞中の「10の光」が対応している、(英語が苦手なため想像にすぎないが)本来疑問形の表現ながらクエスチョンを使わず、逆接的に10色の美しさを強調した歌。
『君と見た景色の先に』もとみたんの名前の音をタイトルに組み込み、二期生として入った彼の昔の姿を悪魔側に据え、彼の演技力や表現力を存分に使い、彼の見るアイドルとしての未来を歌いながら題名を上手く歌詞の結部へまとめあげた歌。

ここまで読んで、あるいは多くの方が気付いていることがあるはずだ。『ニバンセンジ』は二番煎じというワードも出てこなければ、そのような意味の歌詞もない。

そもそも、私は二番くんのソロ曲タイトルは『二番線、十時発』で爽やかな夏の恋愛ソングだと思ってたんだ!!!久しぶりに夏休みに会ってもいい、海に行ってもいい、山に行ってもいい!ほら、すごくありそうでしょ!!!!

だから、このタイトルが出たときは「はぁ~?」と声をあげたし、ツアーが半分終わろうとしている今考えてみると、タイトルと歌詞が一見合致していないように思える。
けれど、このタイトルは彼のソロにとてもぴったりなように思えてきたのだ。その理由について考察してみたいと思う。

まず、ご存知とは思うが二番煎じの意味を確認する。

にばん‐せんじ【二番煎じ】

1 一度煎じたものをもう一度煎じること。また、そのもの。
2 前にあったことの模倣で新味のないもの。

(デジタル大辞泉より)

これは彼の動画投稿時代からのHNであり、彼の前に執事服での踊ってみた動画をあげる投稿者がいるなかで、同様に執事服を着用した踊ってみた動画を投稿したことが由来となっている。
明らかに後者の意味でつけられた、ようするに「パクり」という名前で彼はアイドルになってしまった。なんかすごすぎる。

では、歌詞の方の考察に入っていきたい。

【ちょっと切りすぎた前髪を伸ばしてる途中でoh oh君に出会ったらどうしようかな】

分かってるじゃねぇか!なんでon眉にしちゃうの!眉毛が隠れてる長さが一番だよ!
彼が美容院に幾度に一喜三憂くらいしています。すぐ伸びると分かってるんですけど、いつも前髪切りすぎじゃないか。かわいいけど、ひたすらにバブい。

【「自信がないの」なんて悩んでる暇はないぜ
一分一秒を楽しんで行け】

とても彼らしいフレーズだ。彼は何でもそつなくこなすイメージがあるし、それを鼻にかけてるわけではないけど、自信がないなんて悩むことはなくて、とりあえず飛び込んでみよう!っていう明るさがある。ホルツのどこかで言ってたけど、「今日の悩みは今日のうちに。」を体現してる。

【いつだって僕たちは叶わない夢ばっか見てるよ
一瞬も後悔なんかしないように多幸感依存症】

いや、君たちは夢を叶えてくれるアイドルだから推してるんだよ?!叶っちゃってるよ?

でも、夢を描いてる時点では、きっと二番くんは叶わないって思ってるんだろうな、って。
中野のラストの挨拶でも言っていたけど、彼はメンバーのなかで一番、(本気じゃないという意味じゃなくて)確かな未来や夢の実現を最初の段階では信じてない。
けれど、「zeepが埋まったら、中野、行けちゃうんじゃね?って思った」発言からも分かる通り悲観的というわけでもなく、むしろ楽観寄りだ。

高い夢は叶わないって感じながらも今楽しいことをしたい!って前に進んでるんだろうな。そしてそうしている間に、叶わないと思ってた夢が叶うところまで来てしまって、また叶わないと思うような高い夢を掲げて進んでいく。

言い換えれば彼は限りなく「今」を見ており、「今」に生きている。不確かな未来を描くこともなければ、過去にとらわれて後悔することもない。彼の考え方のなかでは「今」が中心に据えられていると考えることができる。





今は叶わないと思っていても、いつか今になる明日や一年後は叶えているかもしれない、そのためにとりあえず今は今を大切にする。そんな彼にとって「叶わない」は、「まだ先のことすぎて想像もできない」くらいなんじゃないだろうか。

夢を叶うとか叶えるとか歌う歌は多いけれど、叶わない夢をここまで肯定的に歌えるのは、きっとそんな彼だからだろう。

メンバーのなかでも随一の心底楽しそうな笑顔や病むことが少ないところ、小さなことに喜びを見いだせる彼は、現実的でありながら今に幸せを感じるのが上手だ。
依存症なんじゃなくて彼自身の性格が自然とずっと、そうさせてるんじゃないかな、って感じ。

※繰り返しとなるサビの検討は最後にまとめて行うものとする。

【お気楽に all day all night 悩んでる暇はないぜ
階段はホップ、ステップで飛ばして行け

現実と夢の境界は曖昧 me mine 自分次第
いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな? 未体験希望症】

ほとんどが前述の通り。
現実と夢の境界は~のフレーズが前項の裏付けとなる。夢を叶わないと思っていた、思って進んでいるにも関わらず、叶ってしまった、叶うところに来てしまった経験を繰り返した彼にとって、現実と夢の境界はまさに曖昧だろう。
じゃぁ彼の今立っている場所は?彼自身は何者なのか?それを決めるのは、「自分次第」と提示した上で、この問いかけが続く。

『いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな?』

以前の流れからこれは、疑問の形をとった強調であると捉えられる。彼自身は、現状の自分を自分自身で「アイドル」であるとの判断を下したのだ。そうじゃなければ、「アイドルであっていいか?」という問いかけは発生しないからだ。

尊すぎる。

しかも、「いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな」ときた。
「アイドルさせてほしいな」
「アイドルでいたいな」
「アイドルになりたいな」
でもなく、
「アイドルしちゃってもいいかな」
である。
この歌詞はi段の音が多く、さらに撥音や小さな「ゃ」の効果もあり、軽やかでかわいらしいイメージが強い。彼の爽やかさを引き出した上で、アイドルであることを鼻にかけない親しみやすさを引き出したフレーズである。最the高。

こんな子に未体験希望症なんて言われたら、まだしたことのない経験をたくさんさせてあげたくなるね。

【映画スターになりたい!けど、ミュージシャンも良いよな
あれこれ叶えたいんだ】

叶えたい、んだね。叶える、でも、叶わない、でもなく、叶えたい。

彼はやはり確かに輝く未来を信じたり期待をしているわけじゃなくて、そして「それに向かって頑張る!」といって宣言することもない。
彼の見ている未来は、希望形で表されるのが本当に適切だと私は思う。彼はきっとしたいことをして生きていて、だからこそ彼が変わってしまうとか恐れることもない。
今したいことをする先で、どうなるかは分からないけど、希望が叶えば嬉しいな、でも叶えたい夢は変わるかもしれないし、叶わなくても他にまた叶えたいことがあるな、今してることがそんな何かに繋がれば嬉しいな。
そんな趣旨の歌詞だと解釈すると、「あれこれ叶えたいんだ」は今までの一番、二番のAメロ、Bメロの具体例を示した上での、端的なまとめともとることができるのではないか。

【そうだ、今日はこの僕の二番目のバースデー
何度だって生まれ変わっていける】

ここで、二つの解釈が発生する。
「二番目のバースデー」をある特定の一日とするか、「今日」と称される日々のこととするか、である。
多くの方が「彼が二番煎じとなった日」、すなわち福岡公演の日、彼が初めて動画を投稿した日である前者の解釈を支持している。

一方私は後者の解釈を進めたいと考える。
今まで書いてきた通り、彼の考え方は、希望する未来があった場合、最初は「叶わない夢」として始まり、次第に「叶う夢」になり、「現実」になるという段階を踏む。つまり、彼はかなりの頻度で新しく、現実と夢の境界を自身で引き直す、すなわち「今」の更新を行っているのである。
これを、彼の生きる世界や見る未来が変わること、さらには彼自身の社会的立ち位置、大きな言い方をすれば世界における存在が変わることだとすれば、それは「生まれ変わる」と言えるのではないか。
「今」見ている世界を更新することで、「今の二番煎じ」も更新され、彼は叶わない夢だった場所に現実として立っている存在に生まれ変わるのだ。

また、「何度だって」という添辞が最も分かりやすくこの解釈を裏付けてくれる。彼にとっての「二番目のバースデー」は「何度も」あるのである。

さらにここで「二度目」ではなく「二番目」という言葉を選んでいることにも着目したい。彼の名前の「二番煎じ」からもじっていることは自明であるが、「何度だって」の記載から、二回目、という意味とは読み取れない。
では、何が二番目なのか。一番、二番、三番の二番。

ここでも二つの解釈が生まれうる。私はどちらかの判断はつかない(※すべての解釈は独断と偏見であり、正解はないのだが)。
けれどどちらもかけている可能性があるので記しておく。
一つ目は、この世界への誕生を一番大きなイベントとして捉え、毎日をそれに次ぐ、二番目の特別な日だとする解釈だ。生を受けるという本当の意味での「バースデー」を越えることはどうやってもないが、それに次ぐ二番目の、大きな生まれ変わる瞬間を毎日更新しているという意味に、読みとることができる。
二つ目の解釈は、まだ一番が見つかっていないとするものだ。趣旨としては毎日今までのなかで一番大きな生まれ変わる瞬間を更新している、という一つ目のものと同じになる。一方で、まだこれからさらに一番の生まれ変わりがあるかもしれない(そしてきっと明日更新される)という希望を読み取ることができる。
一つ目は今を最上級とする彼の考えに合致し、二つ目は毎日更新されることでどんどんそれより前の日の順位が落ちていくという論拠の弱さがある。しかし、前に引いた「zeepが埋まれば~」発言から、彼は遠い未来を「叶わない」と称しても、近い未来への確証も人一倍持っている。明日というかなり近い未来への希望という面では、二つ目の解釈は一つ目より広い可能性を与えられる。
以上のことからこの解釈は二つの可能性を残したいと思う。

ここだけなんでこんなかたくなったんだろ……??

【今僕から今世紀で一番大きなありがとうを伝えたいんだ】

もちろん一番で聞いても良い歌詞なんですよ。でも、ここまで来たからさらによさが分かるね。

まず今、で始まるサビは書いてきた彼の考えにぴったり。
「今世紀」を人の一生の長さに近いと考えると、彼はここで人生の「一番」を届けようとしてくれている。自分が生まれ変わることに関してはずっと「二番目」だった彼が、他者に伝えたいのは「一番大きなありがとう」なんだ。
ここでの希望形は、今までのまだ先のことすぎて分からない、叶わない希望ではなくて、「今」の彼の希望であると示すために、このサビの冒頭は「今」で始まるんじゃないかと。

「伝えるんだ」じゃないのは、先ほどの毎日一番が更新されるとする考え方もできるが、ここでは受け取り手への配慮だと考えた方が彼の考えに近いと感じる。前項の「今日」という比較的広い時間の捉え方からみる明日と違い、「今」に向き合う彼は、明日を考慮する程度は限りなく小さいと考えられるからだ。
自分は「一番大きなありがとう」を伝えたいけど、ちゃんと伝わるかな。届くといいな。それはもしもしもし一番大きなありがとうが届かなかった受け取り手がいても、それを責めたり悔やんだりしない彼のあり方を示す。

この「一番」を歌いながらツアーを回ってるのって本当にすごいことだって。毎回毎回これを歌いながら、今までよりも大きな、一番の、ありがとうを伝えたいって歌ってる二番くん。

尊いね。推すでしかない。

【ありのままの僕からありったけの言葉でありがとうって伝えたいんだ、今】

伝わってるよー!今、ちゃんと伝わってるよー!そして次に会うときはもっとおっきなありがとう伝えてくれるって知ってるよー!

【ちょっと切りすぎた前髪も意外と似合ってるってoh oh君に言われたらどうしよう、ねぇ】

そう言えば、出だしとここの「切りすぎた」が全部の歌詞で唯一の過去形なことに今気付いて震えている。
後悔しないように、って歌っていて、実際後悔なんてほとんどしていない彼が、「君」が気に入らないかも、ってそれこそちょっとだけ、気にしてる。
でも、それをきっと誰かが認めてくれるから、やっぱり彼は後悔せずに、過去にとらわれずに笑うんだね。

似合わないなんて言ってごめん。うん、前髪くらいもう気にならない。意外と似合ってるよ。ちょっとどじってるとこもかわいい。
推せる。

さて、ここまで考察してきて、やはり同じ結論にたどり着いた。
この歌詞に語義的な「二番煎じ」の要素は一切含まれていない。

では、なぜこのソロ曲のタイトルは『ニバンセンジ』なのだろうか?
それも、カタカナ。このカタカナに意味があるのではないか。そう考え、次にカタカナについて調べてみた。

片仮名【かたかな】

音節文字の一つ。日本語を表音的に表記する目的で、万葉仮名の漢字の字画の一部だけを採ったもの(伊がイ、呂がロなど)。また二がニ、八がハのように少画字の全画のこともある。

(百科事典マイペディアより)

カタカナが漢字の一部分であり、そもそも奈良~平安時代、漢文の訓読のために宮中の男性を中心に生まれたものであることは有名だが、このことはタイトルとは関係がなさそうだ。ここで、項目冒頭の「音節文字」について調べてみる。

…文字はこのようにその字の形や配列の仕方などに多種多様なすがたをみせているが,字とそれが表す言語の要素との関係から〈表意文字ideogram〉と〈表音文字phonogram〉とに分け,後者をさらに〈音節文字〉と〈単音文字〉(あるいは〈音素文字〉)とに分ける分類が一般に行われてきた。…

(世界大百科事典より)

厳密には完全に対ではないが、音節文字の含まれる表音文字(対応する音のみを示す文字)と表意文字(文字自体が意味を持つもの)は対照的に存在と言える。

このことから、タイトル『ニバンセンジ』は「二番煎じ」の意味からの脱却を指し、音としての「ニバンセンジ」、すなわち純粋に彼の名前を示しているのではないかと結論付ける。

(確かに他の踊り手さんのパクりだったのであろうが)「二番煎じ」という名前で活動してきた彼は、今やアイドルとして輝き、一人の個性ある人間として性格、外見、ダンス、歌などなど、記せないほどあらゆる点から多くの人に愛されている。
そんな彼の考え方や過去、未来に触れながら「今」を描いたこのソロ曲は、否定的な意味を持ちうる「二番煎じ」を、一人のアイドルとして彼を愛する人の口から発せられる呼び名、「ニバンセンジ」というタイトルがぴったりなんじゃないだろうか。



本当は映画スターやミュージシャン、二番サビ冒頭の「そうだ」などの考察も加えたかったがキリがなくなるので筆を置くことにする。

いい加減大学のレポート書こうな。
余談ですが、これだけ書きましたが彼は三推しです。推せる。

えりん(@erin_girls0301)