推しと元推しがアイドルを卒業しました。

推しと元推しの卒業が発表されました。

嘘ではないです。だって、二人は、発表からしばらくたっても、自分の言葉で「卒業します。」とは言わなかったから。推しが卒業を発表しました、ではなくて。ただ、運営の言葉で、推しの卒業が発表されました。

プロデューサーの半強制交代と初期メンバー全員と二期の最年長メンバー、6人中4人の卒業は、他のアカウントでも驚きの声が見えたほどで、地下アイドルにしては影響力があったのかな、なんて。だって7年半も続けていたんだもの。
それなら解散の方がマシ、ネームバリューだけ使う魂胆が丸見え、なんて声もたくさん聞いたけど、私はこれでよかったのかな、とも思っていた。初期メンバーは個人仕事も多くて忙しそうで、初期メンバーが出られない時を支える目的もあって二期が入ってきて。いつ誰がやめてもおかしくないと思っていたし、やめたメンバーもいたし、このグループの名前が残ることでここに所属していた推しと、このグループのリーダーだった元推しの記憶は残り続けると思ったから。

6年半前に元推しと出会った。身体は小さいのに声もダンスも大きくて、真っ直ぐな歌声とMCでみんなを引っ張るリーダーのことを好きになった。生まれて初めて、e+でチケットを買った。生まれて初めて、ライブハウスに行った。生まれて初めて、チェキを撮った。大学受験を控えていた私は、ずっとそのグループの曲を聴いていた。『ヒロイン』って曲の、「まわりの大人たちはいつだって幸せな近道を説くけど誰かと同じ道歩いて何になるの?」って歌詞が大好きだった。心の支え、って言葉の意味を知った。

大学生になったら、もっと現場に行くつもりだった。けれど、体調不良によるメンバーの活動休止、炎上によるメンバーの脱退、個人仕事の増加による現場の減少と、現場の数自体が少なく、告知も直前になりがちになり、行くに行けない状況が重なった。元推しは、どこまでも輝く言葉を、ステージで語る人だった。メンバーが欠けて頭を下げる元推しを見るのがつらかった。大好きだったグループが壊れていくのを見ていられなかった。
推し変をしたのは、彼女のせいじゃないよ。彼女は一度も下を見ることはなくて、すごく、強い人だ。私の心の弱さのせいだったんだ。推し変をした今でも、元推しは私の光で、一生忘れられない、私を変えてくれた神様みたいな人だよ。

他のグループのオタクを始めて、もうこのグループを応援できるか分からない、そう思っていた時にオーディションを経て二期として入ってきたのが今の推しだった。二期で最年長って、難しい立ち位置だったと思うけど、丁寧で大人な言葉を紡いで、有言実行するようにどんどん上達していって、どんどん綺麗になって、自分で仕事をとりに行こうとする貪欲さがあって、それでもアイドルとして成長するための努力を惜しまない彼女を、応援したいと思った。元推しは人気メンバーだったし、歌もダンスも煽りもMCも洗練されていることなんて知っていた。彼女は夢アドの太陽だと、今でも思っている。それに対してどこか影のある、推しの成長を見守りたいと思った。彼女の存在が、一度壊れかけたグループの光だと思った。
そう、私は「夢みるアドレセンス」ってグループが大好きだったんだ。
推しに会うために、また現場に足を運ぶようになった。元推しのパフォーマンスは、今も昔も変わらず最高だった。初期メンバーに追いつこうとする推しの努力に胸を打たれた。追いつかれまいとする元推しがかっこよかった。すごく、たのしい時間だった。

今年度に入って、ツアー以降、現場にほとんど行くことができなくなった。全くないわけではないけれど、回数が少なかったり、イベントがあっても告知が直前で都合がつかなかったり、単独イベントがほとんどなかったり、新曲が出なかったりで、行けずじまい。大学に入った直後と同じ状況だった。嫌な予感はずっとしていた。それでも元推しはたくさん外部仕事があったし、推しもいろんな活動を始めたり挑戦したりしていた。だから、卒業が発表されても、あぁその時がきてしまったんだな、って感覚だった。もともとモデルが集まったグループだったから、いつかモデルに戻ると思っていたし、二期として入った推しはモデルではなかったけど、DJとしての露出も多かったし。最初は、すごく納得していたんだ。

二人は、嘘がつけない人だった。最初に情報が出た時は、みんなが納得しての卒業じゃないか、って、少し希望的な観測を抱いていた。それならそれでいいと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
だから二人とも、やり切ったなんて言葉はかけらも使わなくて、悔しい、もうこの場所で夢の続きを見せられなくてごめんね、って言った。本人の希望ではない卒業だと訴えられているようで、それが、すごくくやしかった。
アイドルの卒業発表で、本人の言葉に「卒業」の2文字がないなんて初めてで、デマなんじゃないかと信じたくなって、謝罪の言葉を見て絶望した。悲しいや寂しいよりも、悔しかった。これからも個人での仕事を見ることができるだろうって分かっていたから、二度と会うことのできないさびしさとかはなくて、ただ二人の夢を叶えられなくて悔しいという気持ちばっかりだった。
「それなら、これからも応援してあげなきゃね。」
本現場の推しに、少しだけその話をした。そうしたら、彼はこう言った。
「一番悔しいのは推しちゃんだと思うし、ちゃんと支えてあげてね。」
二人の夢も、本現場の推しの夢も、武道館だった。
もちろんこれからも推しを応援したい気持ちと、推しの言葉や顔も好きだけど、アイドルとしての推しを好きになったんだってわがままも捨てきれなかった。アイドルとして武道館に立つ推しを見たかった。それは、これからの推しを応援していてもきっと見ることのできない景色だ。やさしい言葉がうれしくて、すごく悔しくて、アイドルとしての推しを応援できない未来に寂しくなって、私はやっと泣けた。

卒業ライブも唐突に、平日に決まった。当然行くことはできなかった。大好きだったプロデューサーは、高画質での生放送をしてくれて、だから私は映像だったけど推しの最後のステージを見ることができた。

夢アド初期の名曲はキャンディちゃん、中盤期はファンパレ、二期が入ってからはメロンソーダだと思っている。

「あなたから好きと言われたならアイドルなんてやめちゃうかも」
『いやいやいやいややめないで!』

二期以降の楽曲で一番コールが盛り上がるのは、メロンソーダのこの部分だろう。卒業ライブのラストでメロンソーダが流れた時は、そんなことすっかり忘れていた。サビに入って、思い出した。推しは、歌えないだろうと思った。ライブ中、たびたび悔しそうな寂しそうな顔をしていたから。
「あなたから好きと言われたなら」って、推しは、やっぱり泣いて歌えなかった。その姿を見て、やっぱり、まだ応援していたいと思った。

なのに、元推しは躊躇うことなく笑顔で「アイドルなんてやめちゃうかも!」って歌うんだ。元推しらしい、と思った。完璧なアイドルだった。
同時に、めちゃくちゃに寂しくなった。元推しが、アイドルじゃなくなることが。アイドル界から元推しがいなくなることが。歌声もビジュアルもトークもぜんぶ、ぜんぶがアイドルの神様に愛されていた元推しが、武道館を踏まずにアイドルを卒業することが悔しくて、悲しくて、泣いた。モデルやラジオ、芝居の仕事がたくさん来るのは知ってる、でも私はアイドルの元推しを好きになった。いいや、元推しに出会ったからアイドルを好きになったんだ。

研修生の頃の推しを、アイドルになる前の推しを知っている。でも、私はアイドルじゃない元推しを知らなかった。7年半アイドルだった元推しは、出会った6年半前からずっとずっと、アイドルだったから。

本人たちも、どうにもならないことだったって言う。それでも、私がもう少し現場に行けたなら、本現場にしていたなら、友達を連れて行ったなら、って気持ちは一生残るだろう。明らかに「運営の都合で」卒業させられた推しを見て思う。
それでも、そんなことはずっと気付いていたことだった。こんなに可愛くてこんなにすごいアイドルなのになぜ売れないの?それは6年半考え続けたことだったよ。ほぼ全員が元モデル、子役だから抜群にスタイルが良くて顔が良くて現場慣れしていた。もっと有名になったアイドルグループと比べてもその差は一目瞭然だった。個人の仕事も多くて地上波の番組に出ることも珍しくなかった。個人の力が、地下アイドルというにはそぐわないほど強かった。
でもそれは、勢いだったり、ブランディングだったり、タイミングであったり、いろんなものが理由で花開かなかったんだと思う。

推しはまだ、アイドルでいたかったんだと思った。元推しは、悔しくはあっても、時の流れによってアイドルでなくなるならそれでいいと思っているんじゃないかって感じた。

これからも推しを応援したいと思うし、彼女は壁にぶつかって成長していくと思うから、その言葉を、その姿を見守りたいと思う。その先には、また別のアイドルになったり、歌ったり踊ったりする未来もあるかもしれない。彼女は今も、ラップをする女の子の声優オーディションを受けているし、まだ歌っていようとしている気がするんだ。
夢アドに出会って一層輝き始めた推しは、リーダーである私の元推しと、奇しくも同い年だった。元推しが太陽なら、推しは、月だと思った。太陽と出会って輝き、新しい光を与える人。これからどんな世界を見せてくれるのか、楽しみにしているよ。

対して元推しは、きっとアイドルではない道を歩くのだろうという予感がある。すっきりした顔でラストライブに立った元推し。トークでもモデルでも勝負できるものはたくさんある、経験値も豊富な元推しは、夢アドでないのなら、アイドルにこだわる理由はきっとない。

泣きながら卒業する推しの姿はもちろんつらかったけど、笑顔で卒業する元推しの姿の方が、私には絶望感を感じたよ。

「楽しいことより、辛いことの方が多かったよ。」
元推しは笑顔で、そう言い切った。
「もう一回アイドルするかって聞かれたら、そうだなぁ。」
悪戯っぽく彼女は笑った。彼女は、最後まで正直で、嘘をつかなかった。
「それでも、やるんだろうよ!」
もう一度やりたい、でも、やってやってもいい、でも、きっとやる、でもなくて、やるんだろう、って彼女は言った。辛いことの方が多かったと振り返って尚、当然のようにその道を進むだろう、って。
アイドルになる運命にあって、アイドルらしい魅力を兼ね備えて、アイドルとして人生の3分の1を過ごした彼女は、もともとキッズモデルだったし、アイドルになるために芸能界に入ったわけではないと知っていた。アイドルになるためにオーディションを受けた推しと違って。
だから、いつかこんな未来が来ることは、どこかで分かっていたんだよ。それでも、明日から元推しがアイドルでない1日が始まるということを、ラストライブを見ながらも信じることができなかった。それくらい、歌もダンスも安定感があって、可愛らしい声、華奢な体格に大きな目、愛嬌のあるえくぼ、どれだけ初期メンバーがいなくなっても個人仕事が忙しくても残り続けてきたリーダーとしての責任感、誰も傷つけずに笑わせるセンス、締めるところは締めるMC、絶対に嘘をつかず真っ直ぐ前を見ていた姿、強さ、優しさ、明るさ、どれもが完璧なアイドルだった。女子中学生が22、3になるまで、一つのスキャンダルも出さずに、一番可愛いを更新していた。

貴女以上のアイドルに出会うことはないって、そう思っているから、私はとても悔しくて寂しい。貴女がアイドルでない時代にきてしまったことが。でも、ファンの多くがそう思っていても、貴女はとっくに前を向いていると知っているから、私はこれからの貴女の幸せを祈って、時々懐かしい動画を見ることにしたいと思っています。
夢みるアドレセンスの名前が残っている限り、必ず初代リーダーの荻野可鈴を知ると思う。
最高で最強なアイドルの姿が少しでも誰かの記憶に残るなら、その名前の意味はあるはずだ。
7年半お疲れさまでした、6年半ありがとう。最後のライブの幕が下りるまで、貴女は最高のアイドルでした。
荻野可鈴が、人生最初の推しでよかったです。

推しに手紙を書くということ



ひさしぶりに、推しに、大の苦手な手紙を書いた。

私の行く現場は、ライブのたびにプレゼントボックスに「お手紙のみ」入れることができる。
このようなプレボはもっと大きなアイドル現場や声優現場でも存在するけれど、私の本現場では(どこまで真実かは分からないが)スタッフからの検閲なしにメンバーに届く、という点がかなり珍しい要素だと言えるだろう。
例えば、外から見て差出人の名前や住所の記載のないお手紙は、身元の確認ができず、誹謗中傷などが書かれていたり危険物が入っている可能性が高いため、本人に届けられることなく捨てられやすい、という話も聞いたことがある。開封されることなく、また外に差出人のハンドルネームのみしか記載していない状態の手紙がメンバーに届く現場はあまり聞かない。

また、事務所宛に送ったプレゼントは、(こちらも真実はどこまでか分からないが)基本的にメンバーの手元に渡るとされている。
もともとが地下アイドルの規模でスタートしたからかもしれない。それでも、今はパシフィコ横浜で公演をする規模のグループが、今なおそのスタンスを貫いているのは珍しいと言えるだろう。

私は文章を書くのが好きである。
だから誤解されがちなのだけれど、私は、とんでもなく筆不精である。まめに手紙を書いている妹を横目に、動画をだらだらと眺めて寝る。推しのツイートやインスタを見て「かわいいかわいい!」と大騒ぎして、リプもせずに寝る。あとでリプしよう、と思って、内容を考えているうちに忘れる。
その程度の愛しかないんだね、と言われたら、私は否定できない。推しに向ける言葉は選びたいし、推しを褒める言葉はどれだけの語彙をかき集めても足りないし、足りないからといって雑な言葉を使いたくないし、万が一にでも、推しを傷つけるかもしれない言葉を吐きたくないと思っている。でも、オタクなんてそう思っている人は大多数で、それでも全部のツイートにリプライしたり毎公演手紙を書いていったりする人はいるのだから、やっぱり私は筆不精なんだろう。

時々、無償に贈り物をしたくなる時がある。手紙を書きたくなる時がある。現場がない時でも、そうなる時がある。
事務所に、唐突に蒸気でホットアイマスクを送ったこともある。しょうもない内容の手紙を一枚だけ送ったこともある。それは推しの手元に届くという確信があったわけでも、ましてや推しの手に触れると思っていたわけでもない。単純に私が推しにあげたいなぁ、と思ったからその気持ちを満たすために送った。それだけ。

来年から、この現場の贈り物のレギュレーションが変わるという。プレゼントの受け取りはしない。手紙は、中身を確認してから問題のないもののみメンバーに届く。
今まで恵まれすぎていたのが、普通に戻るだけだ。男の子アイドルの最大手事務所と、限りなく近いレギュレーション。

香川公演が終わって、ライブハウスから出たところでその情報を知った。タイムラインでは、嘆くオタク、怒るオタク、いろいろいたけれど、「阿鼻叫喚」って単語が近いような、そんな状況だった。私はなんとなくそれを遠巻きに見ていた。
先述の通り、私はほとんど手紙を書かないオタクだからだ。生誕祭と、各ツアーで一回書くか書かないか。年に3、4回。それは、ブログを書く頻度より少ない。

書きたいことがたくさんあって、傷つけるような解釈が生まれる言葉を残したくなくて、何度も書き直すにはブログの方が向いている。書きたいという衝動は唐突で、例えば通勤中やベッドの中でやってくる、なのに書き上がるには長い時間がかかる。書くものと便箋と封筒と、文字を書くための明るさと場所が必要な手紙は、私の感情の起伏に対して不向きだと感じていた。
なにより、私は字を書くという行為にコンプレックスがある。封筒に文字を書けば果し状と言われる(今までお取引をした沢山の方、ごめんなさい)し、可愛らしい文字が書けない。ましてや推しの字は可愛いし、汚い私の字の文章は長い。最悪である。

だからこそ、手紙を書くときは、本当に書きたいと思ったときだけにしていた。どうしても書きたいとき。
後述するのだけれど、それは、「誰にも読まれなくてもよいけれど言葉にしたい」と思ったときのことだった。

確かに想いや物を送りたくなることはあるけれど、別に送り先がなくなっても困ることはないと思っていた。たくさん伝えたいことがあるのなら、幸いなことに推しはネット上にいるのだから、そこで言葉を紡げばいい。あるいは接触で。
別に、直接伝えなくたって周りのオタクと話せばいいし、聞いてくれる人がいないなら独り言だって構わない。なぜなら、手紙やブログにしたところで、それは等しく推しから「読まれる確証のない言葉」なのだから。読まれる確証がなくても発したくなるそれは、極論、あくびと同じようなものだ。つい出てしまう、我慢するのは苦労する、したところで誰にもなんの影響も与えない。それでも書きたいと思った時に、自己満足の手段のひとつとして書くのが私にとっての「手紙」だった。
だから、手紙やプレゼントのレギュレーションが変わったところで、なんとなく関係のないことだと思っていたんだ。



先日、推しに年の瀬の挨拶をした。例年はカウントダウンコンサートでしていたのだけど、会える確証がなかったので。
例年?嘘、去年の私は抽選で落ちて会えなかったので、二の舞にならないよう先に挨拶することにした。

「少し早いけど、今年も一年間ありがとうございました。」

「今年も、いろいろあったねぇ。」

予想外の返しにびっくりしてしまって推しの顔を見上げた。推しは結構背が高いから見上げないと目が合わない。自分の顔面はコンプレックスだらけだし、あまり人と目を合わせるのが得意ではないから、話す時は首から顎のあたりをふわっと眺めていることが多いのだけど、思わず顔を上げてしまった。推しは、なんだか寂しそうな顔をしている。
何故驚いたかと言うと、私は、今年は「いろいろ」あった年ではないと思っていたからだ。パシフィコ横浜での公演は今までにない規模感で、はじめてのことではあったけれど、それ以外のライブは今までも何度か行った会場がほとんどで、後半のツアーは昔の演目が多くて、「懐かしい」という印象が強かった。物販が事前抽選になったり、チェキ券が抽選になったり、1枚しか申し込めなくなったりした去年や一昨年の方がよっぽど「いろいろ」変化があったなぁと思っていた。去年は初めてのミュージカルがあって、一昨年は初めての個人の仕事がたくさんあって。今年はその延長のような、すごく落ち着いた一年だった気がする。スマチケの導入が唯一の大きな変化かな。

「私も、めせもあさんのおかげで初めてタイに行ったりできて、楽しかったなぁ。」

会話として適切な返事ができていない自覚はあった。でも、なんとなく推しの発言がピンと来なくて、咄嗟に出た言葉がそれだった。
今年はバカみたいに楽しかった思い出しかないのだ、本当に。だから、目の前で、どこか寂しそうな顔で笑う推しの感情を理解できなくて、私は焦った。

「いつもいろんなとこを褒めてくれて、ありがとう。」

私の困惑が分かったのか、推しはそんな趣旨のことを言った。推しの言葉も会話としては不自然で、それだからこそ、それが推しの伝えたいことなんだと思った。
推しが、何をもって「いろいろ」あったと言ったのか。どうしてそんなにかなしそうな顔をしたのか。
思い当たったのは、手紙のことだった。

推しは、おそらく、私の手紙を読んだ記憶はないと思う。自分のことばかり話してしまって、接触のあとに反省したことも何度もある。私が書いた、推しを褒める内容の手紙や推しを褒めた言葉を明確に想像したわけではないと思った。もちろん、私が手紙を書くという行為が苦手なことを、推しは知らないのだろうし。
それでも、手紙で推しを褒めている友達はたくさんいる。手紙は推しを褒める言葉ばかりだと信じていた。だから、推しの表情と言葉から、手紙のルールが変わったことを気に病んでいるのかな、と思ってしまった。
私は、推しを褒めることに対して無自覚だった。だから、ありがとうと言われてもやっぱりぴんとこなかった。

「だってとみたんはとっくに最強のアイドルだもん!」

推しにそう返して、それから自分が推しを褒めていることに気がついた。時々、ごく稀に書く手紙は、思いのままに綴ってしまうから単調で、恥ずかしくて読み返しもせずに投函していたけれど、確かに同じ内容ばかり書いていた。
推しは、うれしそうに笑った。推しにはこれが嬉しいんだ、と知った。私は時々しか書かないけど、きっと私以外のたくさんのオタクがたくさんたくさん同じように手紙で褒めていて、それを喜んでいるんだろうなって。
スタッフは近くにいるけれど、干渉してくるわけでもない。オタクの感情が、言葉がストレートに、他の誰にも触れないまま推し本人に届くこと。
それはとてつもなく尊いことなのではないか、と私はその時に思い当たった。



推しに手紙を書くということは、平安時代の恋文に似ている、と私は思う。
御簾の向こう、直接会うことも話すことも許されない相手に思いを馳せ、言葉を紡ぐ。従者に渡したそれは、正しく届けられたか確認する術はない。
推しに喜んでもらえるよう、便箋を選び、ペンを選び、時間をかけて書かれるファンレターは、現代において稀有な媒体だ。
SNSが発達し、現代社会では遠くにいてもすぐに、どんな時間であってもすぐに、伝えたい言葉を伝えられるようになった。SNSはまた、公かつ膨大であると同時に、プライベートで捨ておかれやすい空間だ。たくさんの情報が入ってくる代わりに、不要な情報はシャットアウトできるし、流れていくことも多い。一度呟けば永遠に誰かの手元で残ると言われながらも、数日前の気になった話題はなかなか見つけられなかったり。
そんななかで、ライブに行かなければ、あるいは郵送しなければ推しに渡すことのできない、時間をかけて物を選び書かれるファンレターは、時代に逆行しているようにすら感じる。接触があるような規模ならば直接言えばいいのに、何倍もの時間をかけて書かれ、直接話すより何倍もの内容の詰まったそれ。私はそれを、「愛」だと思った。

本人に届く前に他の誰かの目に触れたからと言って、言葉の価値は変わらない。ナマモノじゃないんだから鮮度なんてものはないし、素敵な言葉は千年経っても素敵だ。
けれど、誰にも読まれないかもしれないからこそ、推しにしか読まれる可能性がないからこそ、書けたことはあった。誰にも打ち明けたことのないこと、推しに救われたこと、推しと出会って知ったこと。普段は恥ずかしくて誰にも言えないことを、そっと手紙に載せたことが、私にも何度かある。ちょうど千年前ほど前、和歌に想いを隠した文が送られていたように。
否、私が敢えて手紙という媒体を選んだのは、誰にも読まれなくてよいから、誰にも打ちあけられない想いを書きたい、必ずそんな時だった。

誰かに、それも見ず知らずの誰かに確実に手紙を読まれるという意識は、どうやっても言葉を変えてしまう、と思う。私もそうだし、周りのオタクも気にしているのを知っている。自分には関係ないと思っていたのに、推しから私が勝手に感じ取ってしまった寂しさは、私自身の寂しさの投影だったんじゃないかな。
そして、そうせざるを得ないほどの悲しい言葉が届いたことがあったのだろうという事実にもぶつかる。
手紙は、愛と悪意のどちらも注ぎやすい、諸刃の剣なんだろう。


SNSの発達により、簡単にメッセージを送ることができるようになった。不要なメッセージを受け付けないよう、DMの閉鎖やSNSを禁止するグループが増えた。SNSを使用しておらず、一般人からは伝達手段のないタレントへ、手紙だけなら受け付けるグループが増えている。
心のままにメッセージを送りたいオタクと、肯定的なものだけ選んで受け取りたい演者のいたちごっこ。だから、グループが大きくなれば仕様の変化は避けられない。乃木坂46が、デビュー6年目に突如プレゼントの受付を中止した時の騒ぎも記憶に新しい。
年内までは受け付ける、と事前に告知してくれている点では、私のいる現場はとても優しいと思う。


12月の頭、なんとなく、最後の機会だろうからと思って久しぶりに手紙を書いた。推しに真っ直ぐ言葉が届く最後の機会なのかもしれない、と思ったから。それに、私は「誰にも届かなくても構わない」と思いながら、それでも言語化したくなった言葉を手紙にしていたのだから。
必ずスタッフの目を通ることになるのなら、私があえて「手紙」を書く理由はなくなってしまう。言語化は、手紙でなくたって、リプでもブログでもただのツイートでも、独り言だってできるもの。手紙は形に残るから、といって選ぶ人が多いのも知っている。ただ、私の手紙はそもそも読まれない前提で書いているから、形に残るのは邪魔になるだろうし、マイナスにしかならない。
いざ最後の手紙のつもりで筆を取ったら、意外と文章は多くならなくて、便箋は1枚に収まった。幸いなことに推しと話す機会は今年も十分あったし、時々手紙を書く時にはどうしても書きたい言葉を選ぶせいで、いつも似たような言葉を選んでいた気がする。それに、そんな言葉は、接触でも息をするように口にしているはずだ。
最後に限られた場所で書くなら、何を書いたらいいんだろう。読まれることなく消える可能性の十分にある手紙は、とんでもなく自由だ。

「今まで、楽しい時間をありがとうございました。」

まるで他界するような文を書いてしまって、一度丁寧に消した。

「手紙を書くのは本当は苦手だけど、とても楽しい時間でした。誰にも読まれないかもしれない、とみたんと私にしか触れることのない言葉なら、伝えたいことを真っ直ぐに、自分の気持ちに正直になれました。楽しい時間を、ありがとう。」

ほら、伝えたいことを伝わるように書くと、とんでもなく言葉は長くなってしまうから。残りは、新曲のこの歌割りが好きでした、とか、この表情が好きでした、とか、いつもと同じことを書いておしまい。


手紙やプレゼントのレギュレーションが変わることは、推しに伝わるオタクからの気持ちや言葉が、多少なりとも変質することを意味するんだろう。ここ数年の、私の認識していた変化は、オタクにとっては「いろいろ」大きな変化だったけれど、物販の整列方法や申し込み方法の変更は、オタクと推しの関係を変えるものではなかった。
接触の時間は減って、いずれほとんどなくなるのだろうと確信している。手紙も直接届かなくなった。プレゼントを渡すことはもうできない。言葉を交わすのに十分な時間は、推しに言葉やものを、気持ちを送ることができる量は、あとどれだけ残されているんだろう。どれだけ真っ直ぐな言葉を届けることができるんだろう。



年の瀬だからか、推しがたくさんブログを更新するようになった。推しの言葉は大好きだったけれど、彼はあまりSNSがマメではないし、現場に行かなければしばらく彼の言葉に触れないことはザラにあった。
そんな推しが、繰り返しブログを更新して、「ありがとう」と言う。
言葉は形に残らない。メンバー皆が更新するブログは、すぐに下の方に流れてしまうし、遡るのは難しくなるだろう。それでも、推しの言葉は心に残った。

「ありがとうって言葉は全ての人を幸せにするからたくさん使ってね」

珍しく絵文字もない推しの言葉に、流星を見たような気持ちになった。言葉を、使ってほしいと推しはいう。
直接言葉を交わせる時間がなくなっていく今、仮にスタッフの目を通ってから渡るとしても、推しが読むか分からないとしても、言葉を伝えようとすることに意味があるのかな、って、少しだけ、思えた。
あぁ、また推しから新しいことを教えてもらった。

期待しないことは傷つかないこと、って、この前推しはラインライブで言っていた。本当にその通りだ。誰にも読まれないと思っているから、その言葉が仮に届かなくても傷つくことはないし、確かめようとしたこともない。でもそれは、すごくさびしいことなのかもしれない。言葉を、推しを、信じていないことなんだから。
気持ちを込めれば必ず届くなんて幻想は言わないよ。でも、推しに届くかもしれないって信じて言葉を紡ぐことはきっと幸せで、推しが大きくなるのは幸せなことだけれど、そのせいでどうやっても変わってしまう推しとの距離を少しでも埋める手段なのかな、って思った。たくさんたくさん考えて思ったことを伝えるために、推しが手に取ることを考えて時間をかけて言葉を書いて封をすることは、SNS接触には代えられない価値がある。きっと。
伝えようとすらしない言葉は、絶対に届かない。
聞き飽きてるかもしれないけど、また同じことを言ってしまったと後悔するかもしれないけど、伝えたいことは、何度でも言っていいんだと、やっと思えるようになった。
もう少し、手紙を書いてみようと思った。衝動で、誰からも見られないと思って書くんじゃなくて、推しを思って推しに届けるための言葉を。

今年が終わるまで、あと2週間。推しに直接届く最後の手紙は、まだ出すことができそうだ。
そして、推しに直接は届かないかもしれないけど、直接でなくても届かないかもしれないけど、推しのことを思って便箋を選んで、言葉を選んで、手紙を書く楽しい時間はこれからもあるはずだから。何も知らない、誰かも分からない人に推しへの想いを見られるのはこわいことかもしれないけど、でも、推しを思って書いた言葉なら、その言葉は絶対に色褪せないはず。

ファンレターを送ることって、とても幸せなことなんだね。推しに言葉を伝えられる場所があることは、条件があったとしても、すごく幸せだと思う。
年の瀬を理由にして、少し長いお手紙を書こうか。あるいは、葉書一枚の年賀状でもいいかもしれない。今はまだ、「ありがとう」しか書くことが決まっていないから。それしか浮かばなければ、「ありがとう」だけでもいいんだろうし、それでだしちゃおうかな。
そう思ったら、手紙を書くのが苦手じゃなくなって、楽しいだけじゃなくて、幸せなことに思えてきた。

スタッフに読まれるなら、手紙を書くのをやめたい、やめよう、と言っている人を、私はたくさん見てきたし、その気持ちもよく分かっている。
でも少しだけ、来年からは今年よりも多くお手紙を書けたらなぁ、なんて思いはじめている、私もいる。

(手紙を書く意義が見出せず、手紙を書くのが苦手だった私が、手紙を書こうと思うようになった話を書きたかったのだけど着地点を失った。気が向いたら加筆修正します。)

TT6 ‪超絶個人的ソロランキングとシャッフルランキングを垂れ流します ‬

全公演入ったわけでもない推しフィルター山盛りのオタク(※とみたけ寄りりらぶ推し)ですが、あまりにもソロとシャッフルが良すぎたので、行った公演の中で個人的ソロランキング、シャッフルガチャ優勝ランキングを書きました。ただただ感想を垂れ流したかっただけともいう。まじで全部映像化してくれ、頼む。

ソロランキング
3位
Traofic Jam@トラフィックライト。(12/7京都2部)
久しぶりのトラライ演目、「初心にタイムトラベルしてトラジャムとか??」って言ってたら本当に来た。まじか。
当時の映像は3人とも細くて美青年、って感じの印象があったから、白服さんの力強さが目を引いた。二の腕とか2倍くらいあるんちゃうか。曲のおしゃれさはそのままに、強さを感じるようになった一曲。
あおいさんも白服さんほどではないけど体格もがっちりしたなぁと思ったし、歌もすごく強くなってて。逆にぷんちゃんは透明感が磨き上げられた感じがあって、「透き通るその肌が」の声が透き通りすぎててびっくりした。今も昔も肌は透き通ってるけどね。
入りきらなくて割愛したけど、あおいさんのmagnetに感じた少年から青年の領域に足を踏みいれた存在感のようなもの、ぷんちゃんの繋ぎ目に感じた圧倒的な美、それが即物的ともいえる白服さんの体躯とあわさって、『強い』なぁと感じた。
今年はトラライの活動はほとんどない一年だったけど、その一年でもこれだけトラフィックライト。は成長したんだぞってアピールするような、(MCでも本人たちが言ってたけど)コピーされることが増える中で、本家は俺たちだぞって見せつけるような自信に満ちたパフォーマンスは圧巻でした。あとやっぱり、他の二組のりらぶやじゃないズに対して、メジャーデビューしているグループで、持ち曲を披露するっていう意地のようなものを感じた。演目が終わったあと思わず拍手してしまうような凄みのある演目でした。やっぱりトラライ。はめせもあ。の道標だね。


2位
恋、サクラ前線@白服(11/2鳥取1部)
低めの甘い歌声で歌われるうぶな恋愛ソングがたまらない。「君に今恋しています」ってあの大きくて綺麗な真っ直ぐな目で言われたら死んでしまう。黄推し生きてた????私は死線が見えた。ちょっと踊ってくれたところももちろん可愛かったのだけど、ソロで歌う分、ダンスよりも歌に力を注いでいて、客席の1人1人と目を合わせながら歌っているような姿が印象的だった。お前がスーパーアイドルだよ!!!白服さんって大天才だなぁ。語彙が吹き飛んだ。
最近は特にかっこいい曲が多いからあまりの可愛さに可愛いbotになってしまった。しろふくさんってかわちいだね…、知ってた。

1位
あすの日に灯をともそう@じゃないズ(12/6京都)
泣きすぎて記憶がない。誤解を恐れずに言えば、原曲は、それ以外でも全体的に、じゃないズの3人は歌割りが少なめな印象があった。だからこそ3人の歌をじっくり堪能できて幸せな時間でした。あと、そもそもの歌がえもい。
野崎さんはしゃかりきに歌って踊るイメージがあったから、いい意味でそれが覆されたなぁって。三人しかいないからこそ歌う時は歌に集中して、ダンスもすごく丁寧に踊っていて、センターでサビを歌う野崎さんにはめちゃめちゃ包容力があってあったかくて、野崎さんって大人なんだなぁって実感した。
にーちゃんは3人の中だと元から歌割が多い方だと思うのだけど、今回のあすひのなかでは少なめなようだった気がする。にーちゃんが歌割り決めたって聞いて、すごく謙虚だなぁと思った。でも、要所要所の難しいパート、大事なパートをにーちゃんが固めていたから安心して見ることのできる演目になっていたし、歌もダンスも安定感がピカイチ。オールラウンダーってにーちゃんのためにある言葉では??欲を言うならにーちゃんが一番に輝く演目も見てみたいけど、fixodiaさんとの動画とかnanaとかソロの踊ってみたとか、めちゃめちゃあがっていた。セルフプロデュースがうますぎる、えらすぎる。
フォーゲルさんって最近まじでかっこいいと思うんですよね、いや昔からかっこよかったと思うのだけど最近改めて気付いてしまったというか。もう微笑みがかっこいい。9人あすひでは、歌割り的にもいじられポジ的な、かわいい印象があったから、大人っぽい笑みにやられてしまった。かっっっこよすぎる。フォーゲルさんはめせもあ。のスパイスみたいな存在だと思っていて、もちろん推しは魅力的だし私はりらぶ贔屓だし、8人それぞれ別の魅力があるのだけど、フォーゲルさんの魅力に気付いた日からめせもあ。のパフォーマンスに引き込まれる度合いが高くなった、気がする。かわいいとかっこいいの狭間、曲によっても、笑っているだけでもその境を揺れているような。兄のような弟のような、無邪気なような切ないような声。一言でいうなら、「原体験」に残っている「少年」の概念のようなもの。
曲が始まった時から、なんとなくフォーゲルさんの歌割りの気がしていたんだ。
『遠くで鐘が鳴る』
未来と過去が混ざり合うような、希望と懐かしさの合流点のような歌声で、今ツアーで一番泣いた。
もちろんそれが輝いたのは、にーちゃんが直前の難しいパートを歌ったり2人を支えるようなパフォーマンスをしてきて、野崎さんが曲全体へ明るさと暖かさを満たしてきたからだ。本当に素晴らしい演目だった、ダントツの優勝!!


シャッフルガチャランキング
5位
愛のかたまり@野崎弁当、ノックソ(11/2鳥取1部、12/3大阪)
不安定さが堪らない。二人のがっつりハモリの演目って初めて聞いた。今までのハモリ演目って、所謂歌唱メン(にーちゃん、とみたけ、気まぐれプリンス、あおい)が上ハモに回ることで成立するものが多かった気がする。あるいは上パートと下パートに誰かがいる状態。
野クソは推しコンビなのでとても嬉しかったけど、Aメロまで聞いてすごく不安になったことを覚えている。歌が、とかじゃなく、のっくんの表情が。もう、ひたすら不安そうな顔して歌ってるの。言うまでもないけど歌自体は最高だった。
そのままサビに突入して、息を詰めたまま耳を凝らした。どちらが大きいわけでもなく、言うなれば二人とも、いつもより少し小さな歌声が混ざる。主旋律かハモリか分からないくらい混ざり合ったメロディーが、あまりに甘くて濃厚だった。不安そうに斜め上を見上げながら歌うのっくんと、何を考えているか分からない目で真っ直ぐ前を見ている野崎さんの二人。お互いに縋らない、一人で立って進んでやるって表情をしながら、歌声はめちゃめちゃに愛が固まっていた…、思わずキンブレ捨てて拍手した。すごかった。

4位
magnet@白服、にーちゃん(11/2鳥取2部)
Don't look back@白服、にーちゃん(12/3大阪)
愛のかたまり@白服、にーちゃん(12/7京都1部)
白兄って、天才かも知れん。今さら?って言わないで!
2人演目っていうとびこおぶのかわいい歌とダンスのイメージがあって、鳥取公演のmagnetでぶん殴られるような衝撃を受けたのを覚えている。
アホほどエロい。47の時より絞られたにーちゃんと鍛えられた白服さんの厚みのある体格としなやかな振付、彫りの深い整った顔と流し目、力強い動きに繊細な表情。2人ともしっかりと丁寧に踊るからこそ、表情や動きのひとつひとつから溢れる色気が半端なかった。
どんるばは、始まった瞬間から安定感がすごい。というか2人が出てきた瞬間から、これはいい演目だろうっていう確信があった。どんるばのAメロってかなり低くて、めせもあ。のメンバーでも歌いにくそうだなって思う時があるんだけど、白服さんの安定感はぶっちぎりすぎる。最高。Aメロの時点で最高。上手すぎるし声がよすぎる。と思ったら今度はまた歌が上手い人出てきた!!って気持ち。2人とも甘い声なのに甘さの質が違うよね。白服さんがココアならにーちゃんは蜂蜜。
私、どんるばって泣き曲だと思ってたんですよ。それはにばんくんの繊細な澄んだ声のせいで、野崎さんの切なげな重い声のせいで、あとは感傷に訴える歌詞のせいで、そんなどんるばが大好きだった。なのに、白服さんと兄のどんるばのサビは、声量と勢いがあって、雄大であったかくて希望に満ちていて、そう、幸せだって思ったの。
白服さんが引っ張ってきて、兄が帰ってきて背中を押して、また前に進んでいく未来を象徴するような。あんなに笑顔でどんるばを聴き終えたのは初めてかも。新しいどんるばを見た気がしたよ。
今ツアーで最初に聴いた愛のかたまりが野クソだったのもあって、この2人の愛のかたまりは別の曲か?ってくらい衝撃だった。お互いを信頼して、お互いに自信があって、お互いに全部を委ねきっているような歌声。もう絶対に離れないって歌うような2人があまりに眩しくて、確かに綺麗なハーモニーなのに混ざり合うことなくそれぞれの声が客席に届く、そんな力強さに胸を打たれた。今が永遠なんじゃないかって信じさせてくれるような、愛のかたまり。
白兄の演目は2人ともスキルがハイレベルなのはもちろん、感情も乗っていて客の想いを受け止める余裕もあって、全部全部、「いいものを見せていただいたなぁ」って感情になって、幸せでいっぱいになりました。とみせん、野クソに続く推しコンビ、推しシンメは白兄かもしれない。さっき兄はオールラウンダーって書いたけど、白服さんも本当にオールラウンダーだなぁと今ツアーを通して思いました。りらぶ贔屓になるかなぁと思って書き始めたランキングなのに、気付けば白服さんについてアホほど書いてしまっている。オールラウンダーとオールラウンダーがパフォーマンスをしたら最強になるのはそりゃそうなんだよなぁ!!
今後も白兄での演目を楽しみにしています。歌唱部とかで2人のユニゾンがまた聞けたらいいなぁ。でも2人のダンスも捨てがたいなぁ。お芝居でも写真でもいいです。毎回素敵な演目をありがとう!!!!!

3位
青いベンチ@とみたけ、フォーゲル(12/7京都2部)
今、私たちは何を見た????本気でこんな言葉が口をついた。
フォーゲルさんの歌声が大好きなのは先にも少し触れた通りなのだけど、この曲はキーがぴったりなんだろうな。はにかみながら少しだけ楽しそうに歌うフォーゲルさんがかわいくて堪らないし、なのにすごくかっこいいと思った。仲良しで大好きな大親友の晴れの舞台を見守るようににこにこ見守っているとみたけさんの表情を、私は初めて見たよ。こんなに幸せそうな顔をするんだね。
私はとみたけさんの、会場を支配するような圧倒的な歌声が好き。楽しくて楽しくてたまらない表情で笑って、時には振りを間違えて舌を出してまた笑って、みんなからいじられかわいがられる弟のような、そんなとみたけさんが好き。だった。
フォーゲルさんと青いベンチを歌うとみたけさんは、なんて言ったらいいのかな、遠足に向かう途中で一緒に友達と鼻歌を歌っている、そんな自然体な空気感をそのままステージに持ってきたような感じがした。それも、とみたんの方がひとつ年上みたいな感じ。普段はかっこよくて、時にあざといげるたんが、等身大のまま笑う。初めて見る2人の姿に、なんだか秘密を知ってしまったような気持ちになったよ。そんな2人がいるんだと、そんな2人も素敵だってツアーのラストでようやく知った。
実は、とみげるの歌演目は既にDon't look backも見ていたのだけど、私はこちらの方が好きだった。無理のない音域で堂々と楽しそうに歌うげるたんの歌声を、軽やかに追いかけるようにとみたんの高音が乗っかっていくのが心地よかった。あの瞬間ライブハウスは、大学の少し早く終わった四限からの帰り道、淡い夕日の注ぐ初夏の歩道橋だった。異論は認める。
爽やかで男前なげるたんの声と、甘くやわらかいとみたんの声が、こんなに綺麗に合わさるなんて知らなかった。信頼で結ばれた笑みがこんなに暖かいなんて知らなかった。そうだ、私はずっとcocktailの踊ってみたが好きだった。力強く男らしいフォーゲルさんの踊りと、丁寧で美しいとみたけさんの踊り。気付いていなかっただけで、私はとみたけさんとフォーゲルさんの、対極にいるからこそ生まれる空間が好きだ。それをなんて言ったらいいのかずっと考えていたけど今分かった。これって『青春』なんだ。大人になるにつれて似た者同士が集まったコミュニティーに隔絶される私たちは、だからこそとみげるに惹かれるんだね。やっととみげるの魅力に気がついた。
表現とか何を見せたいかとかじゃなくて、ただ楽しく歌っている2人の存在が途方もなく暖かくて幸せだった。歌い終わった2人がハイタッチをして、やっとこれが現実なんだって思い出したような気がしたよ。2人の個性と魅力が歌の雰囲気や音域の効果もあって夢みたいな空間を作り出した、奇跡みたいな演目でした。

2位
magnet@二番煎じ、ノックソ(12/7京都2部)
2人が出てきた瞬間から美しすぎて目が焼けるかと思った。
magnetを見るたびに二番くんの衣装のボタンが千切れそうなことを、ずっと気にしていた。そんなに回数入ってないのに、なぜかにばんくんのmagnetは5回中4回も見ることができたので。それだけ二番くんは47の時から鍛えたんだなぁと思ったし、努力の結晶のような気がしてたまらなく好きだった。
もともと二番くんの踊り方は、めせもあ。のなかで一番と言ってもいいほど男らしいと思っている。大きな体を存分に生かした腕の振りは、音にあわせるために必然的に他のメンバーより速度がある。身体を起こすだけで見栄えがするし、一歩踏み出せば風を切る。相変わらず抜群のスタイルは維持したまま力強さを増した二番くんのダンスは、指先に繊細さを残していたままで、あまりにあまりに格好良かった。
のっくんの踊り方は、めせもあ。のなかでダントツ女性らしいと思っている。腰から膝のライン、少し内股のように動く足捌き。一度中に入ってから回る肩。首の使い方がうまくて、胸、鎖骨、首筋をゆっくりと客に見せつけるような動き。のっくんの踊り方はmagnetとの親和性が半端なく高い。
サビの「魅惑の時に酔いしれ」の振付で、腕を大きく回して首を傾ける箇所がある。腕と一緒に細い身体が弧を描いて、いつもは隠されている首筋が天井に向けられるくらいに見えて、流された前髪が持ち上がってあの超絶美しい顔が顕になったと同時に金髪が瞳を覆い隠す、まるで映画のワンシーンを見ているようで、あの振付を踊るのっくんが永遠に忘れられない。この世にあんなに美しいものがあっていいのか。
呆然としたまま「夜明けが来ると不安で」ののっくんを眺めていたのだけど、直後潰れた蛙みたいな声を出してしまった。周りにいた人、もしいたらごめんなさい。
その顔面とその表情で!!!胸に手を当てるな!!!!美しすぎるだろ!!!!美しさは罪!!!!!のっくんって切なさの表現がピカイチだと思うんですよ。というかあそこまで整った顔面と細い身体で切なげな顔されたら誰だって手を差し伸べちゃうよ。ずるすぎる。
そう思ってたら今度はにばんくんが後ろから現れるんだから、ほんとに致死量の美しさの演目だった。少しがさつな力強い動きがかっこよすぎる。あんなのとみたんじゃなくてもみんな好きになっちゃうよ。
のっくんと二番くんは見た目も踊り方も対極な美しさがあって、しかも2人とも切ないとか寂しいとかの表情があまりにも似合うから、最の高になってしまった。他の回でにばんくんをメインに見たことが多かったので、この公演の時はのっくんをメインに見たのだけど、ラスサビで全景を眺めた時の2人の対照的な感じだとかステージ上に満ちた冷たい空気とか、全部が美しくて、もっとたくさん味わいたかった。目が二つ欲しかったなぁ。お願いだからもう一度、嘘、何回でも見たいので動画化してください。

1位
Don't look back@とみたけ、ノックソ(12/6京都)
あんなとみたんとのっくん、初めて見た。
2人演目のとみたんは、作られた、とまでは言わないけど、9人でいる時のMCを引っ張る話し方だとかみんなの弟らしい振る舞いだとか、そういった「とみたけ」像から抜け出したとみたんを見ることのできる貴重な機会だったのかもしれない。うぅん、違うなぁ、にーちゃんや白服さんと歌う時のとみたんは、どこか甘えるような無邪気な笑顔を浮かべていることが多いから、誰と一緒に歌うのかで変わっていたのかも。普段は見ることの少ない組み合わせで歌う姿を見ることができて、だからこそ見たことのない関係性の伝わる演目があって、見たことのない推しをたくさん見ることができた。シャッフルに大感謝祭。
とみげるの青いベンチでも同じようなことを書いた気がするけど、その時のとみたんともまた違ったんだ。俺に任せてよ、っていうみたいに堂々と、なのにのっくんを安心させようとするみたいに優しい笑みを浮かべていて、とみたんが弟なのか兄なのか分からなくなった。とみげるに感じたものが、隣を笑い合いながら立ち止まったりのんびりしたりして穏やかに歩んでいく「仲間」だとしたら、それよりはもっととみたんが前に行こうとする意思の強くて、でも絶対にのっくんを隣に連れたまま走っていこうとするような、きっと、「戦友」って言葉が正解に近いんだろう。
のっくんは大阪での仕事もあるし、キミラビリンスはセンターで、愛のかたまりもどんるばも上ハモのパートで、めちゃめちゃめちゃめちゃに大変だったと思うの。それに対してとみたんは過去に、どんるばのメロディーパートも上ハモも何回か披露しているのを知ってるし、それでものっくんが難しいパートを歌ったことが、何より尊かった。本当にありがとう。あまり聞くことのないのっくんの高音は切なくて細雪みたいな音がして好き。
私はとみたんの場を支配できる、観客の目を自分に引き寄せてみせるパフォーマンスが好きだけど、でも、それを支配するためじゃなくて、のっくんの歌声を生かして響かせるために使っているのがいい意味で、衝撃的だった。直前の大阪公演の愛のかたまりで、1番の上ハモの入りがうまくいかなかったような感じがあって、だからどんるばはのっくんが上ハモって知ってたし、名古屋での評判がすごく高かったから期待はしていたのだけど、同時にちょっとだけ心配もしていたの。でも、そんなの吹き飛ばすくらいとみたけさんの歌が明るくて、丁寧で、前は進む道を開きながらのっくんの背中を押していて、安心して聞けたんだ。
推しの初めて見る表情に驚かされ続けて、ふと目をやった先ののっくんの表情を見て、号泣してしまったんだよなぁ。のっくんの、あんなに真剣な表情を初めて見た気がした。悪い意味じゃないよ。のっくんって、いつもどこか余裕があって、周りを見渡して楽しそうに笑ってる、そういう大人で視野が広いところがすごく好きなの。間違えても小さく安心させるように笑って、あるいはお客さんに分からないように修正して、すぐ元のところに戻っていく。とみたんといればいつも大笑いして、ふざけたことをたくさん話して、9人演目でもとみたんとすれ違うたびにハイタッチしたり変顔したりする。そんなのっくんが、とみたんの目をものすごく真剣にまっすぐ見つめて歌っている姿に、あぁのっくんは本気なんだ、って気が付いてしまったの。そして、それにとみたんが応えようとしていることに。
今までのめせもあ。のライブだったらのっくんがメロディーパートで、とみたんが上ハモだったと思う。のっくんが上ハモを歌う理由を、のっくんがハモリだから生み出せるものに対して、この組み合わせだから見せられるもの、伝えられるものに対して真剣なんだって思った。顎ちゃんのどんるばの感想は、青いベンチの感想と、そういう意味で対極にある。
のっくんの淡く掠れた大人な高音は微かに郷愁を纏わせて、とみたんの明るくて真っ直ぐで力強いメロディーは未来への希望を感じさせる。その合流点で紡がれるサビに、私の語彙はきっと追いついていないけど、今までの全部を抱きしめて歩き出す明日のようなものを見た気がした。2人の目には、何が見えていたのかな。
オーロラを聴いた時に思ったように、とみたんが明日へ漕ぎ出す櫂ならば、のっくんは錨をあげる船乗りだと思う。キミラビリンスを聞いた時に感じた印象は、どんるばを聴いて確信に変わった。
どんるばは、切なくて泣ける曲だと思っていた。違ったんだね、どんるばは明るい明日を信じる曲だった。ラストのサビで、少しはにかみながら歌うのっくんと、幸せそうに微笑んで頷いたとみたんを忘れられない。とみたんは前を進んでいく存在だと思っていたけど違うんだね。道を開いて、それから隣を歩いていくんだ。むしろ、一番後ろをいくのかもしれない。誰も置いていかないように。いろんな組み合わせを見て、そう感じることができてうれしかった。
のっくんとの間にある信頼や、時に支え、時に支えられているような関係性に胸がいっぱいになりました。


9人にとってそれぞれ8人との関係性があって、私たちが見ているものはほんの一部で、でもきっとどれもが大切で尊いんだろうなぁ。初めての推しの姿をたくさん見て、前よりもっと推しが愛しくなりました。大事な宝物を少し見せてもらえたような、そんな気持ちになれました。そんな空間に私たちを入れてくれたことを、とっても嬉しく思いました。
ありがとう、2人演目。ありがとう、シャッフル演目。また機会があれば見ることができるのを祈って。欲を言うなら動画化されることを声を大にして祈って!!


真逆の糸の雑な考察をしてみた

なんでもありの適当解釈です。矛盾もたくさん。書いてて楽しかったからゆるしてほしい!


【前提】あくまで歌詞ベースに考察していこうと思っている。今回は作詞作曲が共通のクリエイターさんである、SK、MWとの関連性に絞る。そのなかでも、SK、MWを基にしたのだろう解釈は検討しても、真逆の糸のために伏線が引かれているという解釈はしないものとする。ディーラーなどが挟まったことから、SK、MW時点で真逆の糸の構想はなかったと思われるため。
また、過去の映像からの解釈は最小限にとどめる。(※例えばSKの全員のキスシーンは、プロモーションの意図も多く含まれており、歌詞のみからは読み取ることができず、また解釈にブレが生じるため検討から外す。あくまで白服、とみたけ、あおいの三角関係の曲として捉える。)
MV監督が毎回異なるため、共通の意図がないだろうことも理由である。ただし楽曲同様、SK、MWのMVを見ることで印象に残る箇所、今回基にされているであろう箇所(MWのタイトルと同じタイトルの出し方をしているなど)は検討に含めるものとする。



まず『真逆の糸』というタイトルについて考えたい。
「垂らされた糸を掴めるのは一人きり」
二番煎じの歌割りと0:34〜から、最初に糸を垂らしたのは二番煎じと考えるのが妥当。
テーマが「愛」であることからも、愛されようとしていろんな人に仕掛けていく=糸を垂らしたと解釈する。愛で結ばれる、その糸を掴むことのできるのは一人きりと歌う彼は、糸に手を伸ばす人を弄ぶ側である。はずだった。
この糸が「真逆」になるというタイトルになる意味はなんなのか。
一番分かりやすい解釈は、愛されようとして愛してしまった「真逆」である。しかし、このMV中で二番煎じが誰かを愛する描写はほとんど見られない。
そのため少し広げた解釈として、愛されようとしていたが、愛されすぎて苦しみ、愛されることから逃げようとすることになった「真逆」を提示したい。愛を求めて糸を垂らしたのは二番煎じのはずなのに、皆から愛を向けられて逃げようとする、けれど皆から逆に垂らされ、張り巡らされた糸から逃げられなくなる。4:36〜47の演出はそんな風に見えた。

MVは(もちろん)9人が出てくるが、歌詞からストーリーとして読み取ることのできる、またMV中で接触を持っている登場人物は、SKはとみしろの2人、MWのあおとみしろ(クソゲル二人の接触はあるが)の3人である。対して、今回のMVは二番煎じに対して野崎弁当、ノックソ、フォーゲル以外の6人は接触しており、登場人物として生きていると解釈できる。MWで白服、あおいが死ぬことから、時系列的には真逆(1番)→SK→真逆(2番以降)→MWとして考察してみたい。真逆1番にとみたけによる大きな動き、真逆2番にSK・MWを想起させるフレーズがあり、1番と2番の間にSKが挟まることが自然と考えたのでこの時系列。後ほど詳しく記す。
され尽くした考察だろうが、SKはあおいから隠れて愛しあうとみたけと白服、MWは白服・とみたけ・あおいはそれぞれ仲がよかったものの、白服がいなくなったことを嘆くあおいと、白服が死ぬことを止められなかったあおいを責めるとみたけの物語と考える。


「最初からいけすかないやつだった 馴れ馴れしく肩を組み 無邪気によく笑い喋り なんだか恥ずかしい勘違いさせちゃう…」

前述の通り、冒頭では誰にでも親しみやすく勘違いさせるような振る舞いをする二番煎じに多くの人が惹かれていく。(ここで二番煎じに集まる9人は、厳密な意味でのメンバー9人ではなく、「大勢」の象徴と捉える。)
あおいは白服に恋慕の情を抱いているため、白服にちょっかいをかけるような二番煎じの行動に対抗心を抱いたのだろう。

「あんたあいつのなんなのさ」
「さぁ?」

特別な気持ちもなく接していた二番煎じにとって、それは誤解された関係に過ぎない。あおいは襲われているように見えて、その実このシーンで掴みかかっているのはあおいの方からである。縋るような仕草は、もしかすると、あおいから二番煎じにも、愛ではなくとも、好意はあるのかもしれなかった。なぜ誤解されるようなことをするのか、と問うような。

「言えない(見えない?)気持ちに気付いてしまったの」

とみたけは、二番煎じの態度が好意からによるものではないといち早く気付く。ただ、誰でも良いから愛されたいだけ、なのかもしれない。勘違いを誘うばかりの二番煎じの行為に、どちらにせよこちらに向けられる愛はないと気付き、とみたけは去っていく。

MV中には描かれないが、二番煎じに「愛されない」ことを知ったとみたけは、その後同じように二番煎じを「愛さない」ことを選んだ白服に愛され、愛するようになるのではないか。

サビの歌詞は、二番煎じによって引き寄せられた相手からの、二番煎じへの願望だと解釈する。全編通して、二番煎じはサビを歌唱しないからだ。

「触らないで あの子を愛した指で」
「抱き締めて あの子よりも汚して」

二番煎じに向けられる願望は、そんな欲望だけではない。

「笑わないで 何も知らないくせに」
「泣かないで そんな幸せそうに」

だんだんと二番煎じ自身に向けた願望が増え、彼は垂らしたはずの糸によって雁字搦めにされていく。
このあたりでとみたけと白服が愛し合うようになったと考えると、2番以降の歌詞の辻褄があう。「解ける三角形」の白服の歌割りを契機と捉えられるだろう。

「少し奥まった特等席 誰にも見つからない宝石」
「なぁ、なのに解ける三角形」

奥まった特等席で誰にも気付かれずに、人間関係をゲームのように楽しんでいた二番煎じは、皆に愛される宝石のような存在だった。しかし、他人に愛されるよう努めた彼の存在により、真に愛されること、真に愛することをとみたけ、白服は自覚する。彼の存在が仲の良かった白服・とみたけ・あおいの三角関係を崩していく。
網の目をくぐったあおいだけが、二番煎じによって全てが起きていたことを知る。それと同時に、自分が白服に愛されたいと思うように、二番煎じも誰かに愛されたがっていたことに気付く。それなのに、その愛の重さに潰されそうになっていることにも。あおいの叫びは、恐怖というよりも、怒りや悲しみの発露のような気がする。

「見えない結末を辿ってしまったの」

冒頭であおいが二番煎じに掴みかかっていたことから、あおいから二番煎じに会いに行っていたのではないか、またそのことは周知だったのではないか。あおいの声から二番煎じと揉めていることを悟った白服、とみたけ、にーちゃん、気まぐれプリンスは建物の中に入ってくる。それは二番煎じへの情ももちろんあるだろう。建物に入った彼らは、二人を探しているようであるが、どちらかへの怒りなどの表情は読み取れない。
愛されたかったはずなのに、愛してくれている、あるいはかつて愛してくれていた人たちを手にかけていく様は、たしかに先の見えない、予想のできなかった結末だ。
最後にあおいに二番煎じが殴られるところと違い、血の描写などはっきりしたものが描かれていないここでは、恐らく二番煎じは「殺害していない」のではないかと考える。

「あんたにゃ分からねぇだろうな」

自分が白服に対して抱くような愛を、きっと二番煎じは持っていない。愛することを知らないまま愛を求める彼にあおいは言い、二番煎じは自嘲する。

「なぁ」

それは、自問かもしれなかった。
怒りを含みながらも二番煎じが誰を愛しているのか、誰に愛されたいのか問うあおい、二番煎じを想い心配し集まってくる人々。その愛の重さに耐えきれなくなった二番煎じは、あおいから逃げ、彼らの声を聞かなくて済むように気絶させ、一つの部屋に閉じ込める。

「ひた隠し」
「恥さらし」

最後に白服ととみたけから言われるこの言葉は、現実ではなく、二番煎じの想像にも聞こえる。愛されようとしてその糸に絡まり、自らの首を絞めた恥ずかしい人間だ、と。

「あんたが悪いんだからな」
あぁ」

二番煎じが死んだのかは定かではない。あおいは、とみたけと白服との三角関係を壊した相手に復讐をしたものの、とみたけと白服の一度できてしまった関係は崩すことができなかった。そのあと、何らかの出来事により白服が死に、MWの時間軸に繋がるのだろうが、それ以上は不明である。(先に示した通り、MW発表時に真逆の糸の構成はなかっただろうことから、二番煎じがいなくなったことによるMWの時間軸の影響はないはすだからである。)
自分の与えた愛に潰されてしまった悲劇の王子様、二番煎じの物語として解釈を終える。



この曲の第一印象は、ifの世界のアイドル「二番煎じ」だなぁ、という印象だった。MWのあおいくんがifの世界のアイドル「あおい」なら、その対比のような。
ふぁぼやリツイートたくさんしてね!みんなのことが大好き!好きになって!ってどんどん発信してファンを増やすあおいくんに対して、二番くんはどちらかというと普段は淡白な方だと思う。積極的に発信するわけでもないのに、自然とファンが増えていく。
現実のにばんくんはその愛に潰されたり殺しちゃったりはしないわけだけど。そんなにばんくんの愛され性質のようなものが、この曲がにばんくんセンターになった理由なのかな、となんとなく思ったり。失礼だったらごめんなさいめちゃめちゃに褒めています。

結論なんですけど、めちゃめちゃ好きな楽曲とMVでした!早く生で見たいです
あととみたけさんの0:45と4:19の顔が好きです。

横浜の海より帰る

読み返してみたら、前のブログとすごく矛盾しているかもしれないと思ってしまった。でもこれは一オタクのその時の感情の記録なので、正直なまま、残しておこうと思う。どちらも私の本音のはずだ。



『Message More』
白服さんがあの日初めてそう言った時、バイトの帰り道に生放送を見ていた私は、涙が止まらなかったことを覚えている。
これから、もっとたくさんの言葉を届けられるんだということ。これからも、もっとたくさんの言葉を聞けるんだということ。
私にとって言葉の価値が重いことはもちろんだけれど、私はめせもあのみんなの言葉がだいすきで、めせもあのために紡がれた言葉がだいすきで、メンバーとファンを思う優しさと、誰も傷つけないのにてっぺんを目指す力強さをあわせもった愛のある言葉たちが本当に大好きだ。

ホルツは、言葉の波に揺さぶられたツアーだったと思う。どうしたら辿り着けるかも分からない高すぎる目標、変わる環境に順応しきれないファン、制度や組織の変更が後手に回る対応。たくさんのかなしくなる言葉を聞いた。そして私も、間違いなく発した。
ファンとメンバーが木を組み、帆を上げてたどり着いた初中野から、全国を回って大きな大きな船ができたのに、大きすぎて出航できないような。少しでもその船の背を押したくて、このブログを開設したことを思い出す。私は47からの新規だから、その船ができるまでどんな苦労があったのかわからないけど、当時の曲が今でもとてもとても好きだから、その時間にあふれていたんだろう優しさや夢は計り知れない。
この大きな船はどこに行くんだろう。迷路のような入江をぬけて、TDCHの座席についた時、あぁ、今度こそ大海原にでていくんだと思った。その先で沈むのか、そこで留まるのか、あるいは前に進むのかわからない。そう思っていた。

とみたけさんの言う通りだったね。ホールツアーは完売したけれど、私はパシフィコがこんなに早く完売するとも思わなくて、こんなにたくさんのファンがいることを知らなくて、こんなにたくさんの後輩や仲間ができたんだって、公演を観て思ったんだ。
水兵だった彼らはいつしか立派な船乗りになって、佐官以上にしか許されない肩章に、堂々とした真白の軍服を着ていて、すごく、格好良かった。
もうオタクが船を押さなくても、風を起こそうとしなくても、きっと前に進んでいく。3000キャパのTDCHから5000キャパのパシフィコまで8ヶ月しかかからなかったのだから、10000の大台はもう見えるところまで来ているね。

誰もが思っただろうことを言う。
オープニングがオーロラで、ラストがパシフィック展望台で、みんな感動で涙の嵐でおしまい。
そんなステージを頭に描いていた。そうすれば絶対オタクは泣くし、パシフィコに辿り着いたことを実感して歓喜する。

なのに彼らはそうしなかった。泣き虫の私が、ほとんど泣かずに終わったの。うそ、ほとんどではないけど。
本当に嬉しかった、予想はしてたけど、初めて振りのついたパシフィック展望台を見て、さっき外で見た横浜の海を思った。オーロラを聞いて、何度も入った寿司詰めのライブハウスを想った。こんな大きな会場で見ることができるのが嬉しくて、あぁ、今日という日は、いつかめせもあ。が武道館に立つ時に語られる歴史の分岐点になるんだと、今そこに、立ち会ってるんだと実感して、少しだけ泣いた。でも、ほとんど笑ってた。

ここが終わりじゃない。ここがてっぺんじゃない。
私はこのセットリストは、そういうメッセージだと思ったよ。ここからがはじまりなんだ、って。しんみりしてる場合じゃないんだって。ここからてっぺん目指して、走っていくんだ、って、そうきこえた。

感動を作ることは、意外と容易い。苦難の過去、乗り越える今、華やかな未来、それらを飾って美しい言葉で彩って演技をすれば、人の心をある程度なら動かせる。それが芸術だ。芸術にある程度の鉄則があるのには理由がある。
なのに彼らは、いくらでも感動を作ることのできる馬鹿でかい会場で、等身大のまま一発芸をして、ステージから全員降りて壇上ではスタッフが清掃するなか、高さ6階にもなる後部座席までボールを渡しにいって、オタクに合唱をさせて、どんだけ自由なんや、って思ったよ。
それから、彼らを応援したくなるのはこれが理由なんだ、って分かった。

現代日本にはたくさんたくさんアイドルがいて、私も他にもたくさん好きなアイドルがいるのに、なぜかめせもあさんを特別応援したくなってしまうのは、彼らが等身大だからなんだろうな。高校野球の観戦のような、子鹿が立つのを待っているような、倒れそうなあと一本のボーリングのピンを、見つめているような。
うまく名前をつけられなかったこの感情の答えを教えてくれたのは、すごく意外なことにとみたんだった。
「俺はね、アイドルとオタクの関係じゃなくて、人と人との関わりだと思ってるから(営業とかできなくてごめんね)。」
生誕祭で彼がそう言ったのを聞いて、とても腑に落ちた。
いつからだろう、推しを、とみたけさんを、いや、とみたんだけじゃなくてめせもあ。というグループのことが、アイドルとして成功してほしいっていうよりも、幸せになってほしいと思うようになっていた。自分が何かを欲しい、と思うんじゃなくて。
ファン、という呼び方の方が近いのかな。ジャイアンツのファンとかいうし。でも、野球は勝利=幸せに限りなく近いけど、アイドルっていう職はそうじゃない。だからすごく漠然としているのだけど、なんていうんだろう、みんなに笑ってキラキラしていてほしい、そんな感情。

それは、オタクがアイドルに抱く感情でありながら、人が人に幸せを願う感情だったんだね。
メディアを通して校正されたり省略されたりなんかしない、理解が難しくても誤字だらけでもひらがなばかりでも、間違いなく彼らが紡いだ言葉がリアルタイムで私たちに届く。気取ろうとするよりも、自らダサいところや風変わりなところを見せようとする。盛れてる自撮りじゃなくてもアップしちゃう。嫌なことは嫌っていう。可愛い、綺麗なところだけを見せる画面の向こうの偶像じゃなくて、同じ世界を全力で生きる彼らに、私たちは魅了されてここに集まったのかもしれないなって、5000人のなかで私は思った。

みんなは、どこで泣いた?
私はMWで泣いた。たくさんリリイベして、ドルイベで手売りもして、超パで無配までした通常版。後ろ半分の空いた地方の会場で、微かな光を探すように泣いていた彼が、昨日は昔の恐れを忘れるように振り払うように叫んでいて、彼はこの曲の答えを見つけたんだって思った。
47以前の曲が少ないセトリだったのは、半分さみしくて、半分うれしかった。彼らはむすめん。がむすめん。であったこと、ここまで船を作り上げたことを決して忘れないだろうけれど、「MeseMoa.」として前に進んでいくんだね。

すごくすごく楽しくて、泣かせる気のないライブ構成で、それでもきっと、みんながどこかで嬉し泣き?懐かし泣き?寂しい涙?悔し涙?わからないけど、涙を零した公演だった気がするよ。作られた感動じゃなくて、私たちとめせもあ。が紡いできた歴史から生まれた感動。一人一人が違うところで重ねた歴史と、異なる思いの先に、それぞれ違うところで自然と感動がうまれる、そんな仕掛けなんだ、って、泣いてから理解した。もうライブも後半だったのに。作られた感動は美しい。でも、生まれた感動は、涙の量はすくなくても、すごくすごくやさしかった。



白服さん、あの場所にいた人たちの歴史には、とっくにめせもあ。は刻まれていたよ。人によって程度の差、感じ方の差はあっても、だからあそこにいたんだよ。

三月の夕暮れの通学路はあすひを、はつなつの朝はさまびを思う。夏果ての帰り道には蝉時雨、大きな舞台に足を踏み入れるとき、パシ展が聞こえるはずだ。何年経っても、きっと、生きている限り。
一緒に見た韓国の街も台湾の空も、クーラーの音の聞こえるBlackRoseのイントロも、暗闇に目を閉じた開演前、流れて来る風の音も私は忘れない。
彼らに出会ってから選んだ舞台、戻った場所、作ったうた、全部私の歴史になった。
記憶力が悪いから一言一句おぼえてはいられないけど、一緒に写った写真や昔のライブの映像を見れば、その時何を話したか、何を思ったか、何を見たのか、昨日のことみたいに思い出せる。いろんなことを話して聞いて、いろんな表情を見て見せた。どうしたらこの幸せを伝えられるのか、どうしたら幸せになってほしいという思いが伝わるのか、どうしたら幸せにできるのか考えた。時間が流れるのが、たのしくてかなしくて、さみしくてうれしかった。
彼らだけで己の世界を満たしてはいけないことは百も承知だし、そうしていない自負はある。それでも、彼らが私に与えた影響は計り知れない。

背中を押してくれてありがとう、たくさんの言葉をくれてありがとう、たくさん伝えさせてくれて、たくさんの言葉を生まれさせてくれてありがとう。
そのおかげで、私は想像もしなかった道を選んで、歩き出すことができています。たぶん、私だけじゃなくて、そんな人たちはいっぱいいるんじゃないかな。

パシフィコで彼らを見届けたこと、パシフィコでのライブの日をオタクとして迎えられたことは、確かにめせもあ。の歴史に居合わせることができたんだと実感した。
素敵なものを見せてくれてありがとう。そう言うつもりだったけど、違ったね。

素敵な場所に、連れてきてくれてありがとう。
素敵なものを、一緒に見てくれてありがとう。

通過点の先に何があるかは、きっとまだ誰もわからないけど、この人たちなら幸せになれるし、ずっと笑顔で、きらきらしていてほしいなって思った夏のはじまりでした。
どんな荒れた海に飲み込まれても、それでも太陽は登ったし、空は晴れたし、お天道様様は見ていたし、向こう側に連れ出された私たちは次の世代に行くんだね。
これからも、変わらない素敵な人たちを応援できたらいいなって思います。その言葉を聞きに、船に乗ります。伝わらなくても構わないけど、言葉を紡ぐことはやめません。
メッセージが増える限り、めせもあ。は生き続けるような気がするから。ただの願掛けなんですけどね。

さくらさくら初めて海に触れた日の

初めてとみたけさんを見たときに、こんなうたを詠んだことを思い出した。私にとって、貴方は初めて触れた海でした。広くて自由で、どこまでも飛んでいけるような。
ねぇとみたん、とみたんにとっての初めての海はどうでしたか。目の前に広がる大海原は、どうだった?


その答えは、これからのライブで知ることができると思うから、私はそれを楽しみにして眠ることにします。

全部全部君とだった?本当に過去形でいいの?そう言わんばかりの満面の笑みの9人が、世界で一番かがやいてみえました。


ch8がだいすきな話とパシフィック展望台がエモい話

※題名以上のことは何も内容がないブログです


めせもあさんは、大きな階段をひとつのぼったんだなぁ、って。
数年前、手売りで入ったガラガラの会場が、立ち見で並ぶ景色を見てそう思った。


はじまりは、距離が近いアイドル、だった気がする。
アイドルって所謂大手グループと地下があって、大手グループのアイドルとオタクはほとんど関わることがない。例えば握手の3秒間とか。そんな感じ。彼ら彼女らは、語義通り「偶像」として存在していて、オタクも手の届かない存在のアイドルに憧れ、愛している。逆に、地下のアイドルは例えばアイドルに覚えてもらえるとか、個人的なことまでゆっくりお話できるとか、そんな人たちがステージではキラキラしている、二面性であったり努力の過程を楽しんでいるのかな、と思っていた。
めせもあ。は、いや、むすめん。は、間違いなく後者のグループだった。J事務所のようにお披露目が横浜アリーナだったりはしない。自分たちの手でビラを配って、声を上げて、小さな箱から前に進んできた人たちだ。
私はそれが魅力だと思っていた。小さなライブハウスで、表情まで見ることができて、一生懸命な熱をすぐ近くで感じられるから、このグループを応援したいと思った。だからこそ、このグループが大きくなってしまったら、手が届かない存在になってしまったら、応援できるのだろうか?その疑問はずっと私の胸の中にあった。

私のなかの1番のライブは、ずっと初めて見た47の滋賀公演だった。みんなの表情がよく見えて、至らないところがあっても狭くてうまく移動できなくても全力で、一生懸命だったから。私は、推しの表情が変わる瞬間が一番好きだったから。
なのに、なんでだろう。今回私が持っていたのは両部逆最前(最後列)のチケットだった。そんな後ろで見たことは、ツアーのファイナルくらいしかなかった。
なのに、ライブハウスですぐ近くで見ていたオーロラ曲技団も、ライブハウスや(最近だと)後列はガラガラでいつも10列以内だったDDPで見たぱじまじも、今回のステージの方がずっとキラキラして見えたんだ。表情なんて見えなかった、モニターはたまにくらいしか見なかった。それでも、キラキラ輝く小さな推しと、それを見守るたくさんのサイリウムが綺麗で綺麗で楽しくて仕方なかった。

あぁ、私は表情なんか見えなくたって、どんなに遠くて米粒サイズになったって、めせもあ。が、推しが好きなんだ。
やっとそう、自信を持って言えるようになったんだって気がついた。

小さな劇場で始まったAKBも、武道館に至るまで4年かかった。会いに行けるアイドルに、手が届かなくなっても応援してくれる人がつくまでに。冒頭に戻るなら地下寄りで、距離の近かったアイドルが、大手に引けを取らないくらいのアイドルになるまでには長い時間がかかるし、そこまでたどり着けないグループだってたくさんある。めせもあ。は、その段階まで登って来たんじゃないか、って。そう予感した1日だった。




パシフィック展望台を聞くたびに私は泣いてしまうし、そういう人はたくさんいると思うし、もっというとメンバーもそうだって言う。

最初の『てっぺん』、からもう泣いてしまいそうになる、泣かないけど。だって私は、とみたんはアイドル界の一番星になれる男だって思ってるから。歌もダンスもトークも性格も、そしてなにより表情が。私が推してきたアイドルは、天道輝も本田未央も一番星を目指していて、前田敦子高坂穂乃果も1番に拘ったアイドルだった。私は上を目指す姿に感動して応援したくなるタイプのオタク。
でもきっと、とみたけさんはてっぺんなんて目指してない、それだって知ってるよ。めせもあ。のみんなと一緒に登っていきたいだけだ、って言う。そんな彼が、みんなと一緒なら目指せる、って、嬉しそうに天を指して「てっぺん」って言ってくれるのが、私には幸せすぎるんだ。

そんな個人的な気持ちは置いておいたとしても、『ここに立てるのか不安で 目に見える約束もなくて』以降は本当にエモすぎて泣いてしまうし、ライブでも泣いてる人めっちゃいる!わかる!!って気持ちだった。

47はライブハウスだったこともあって目立たなかったし完売もでていたけれど、ホールツアーは、明らかに「空席が目立つ」ツアーだった。後ろ半分が空っぽの公演も、1部はそこそこいたのに2部になったらごそっと客の少なくなった公演も見た。「武道館を目指す」って宣言していたのに、ゴールデンウイークに始まるツアー最初の3日間を終えて、白服さんが「まずはNHKホールから」って言い出した時、私はすごく不安になったし、メンバーはもっと不安だったんだろうなって思う。初めてほぼ埋まったツアー終盤の関西の公演でメンバーが大喜びしていたのも思い出す。メンバーの欠けた公演が続いて、本当にいつまで続けてくれるんだろうって本気で心配したなぁ。
でも解散も卒業も怖かったけど、それよりも、私は自分がこのグループを応援できなくなるんじゃないかっていうのが一番怖かった。どんどん遠くなっていくメンバーに、自分が好きになったのはこんなグループじゃない、って思ってしまうんじゃないかって。好きなものを嫌いになることはたぶんとても辛くて、でも気の持ちようでなんとかできるものでもないんだろうな、っていなくなった友達を思う。私も新規の部類だけれど、Twitterをはじめた頃にできた友達はどれくらい残ってるだろう。たまにそんな彼女らに想いを馳せると、さみしくなる。

だからこそ、『前よりもっともっと君が近く見える』を泣かずに聞くことは、たぶんできないんだろうなって思う。この「君」はメンバーのことかな、って最初は思っていたけれど、そのあとに『今まで何を見てきたんだろう?何を知った気になってたんだろう?』って続くから、オタクに向けて言ってるんだろうなって解釈に至った。メンバーだったら、一緒に見てきた景色、って単語になる気がする。

大嘘だと思う。だって、前よりもっともっと遠くにステージがあるんだから。前より近くに見えるなんて、ウソ。なのに、その嘘があまりにも優しくて、あまりにも信じてしまえるから、寂しいよりここまで辿り着けた嬉しさで泣いてしまう。

昔はもっともっとたくさん話せたし、きっともっともっとお互いのことを知っていた。それこそ、日々の習慣とか明日の予定とか、私生活って呼べるもの。なのに、『何を知った気になってたんだろう?』っていう言葉はすごく重くて、どれだけ情報を交換してもそれはただの友達ごっこにすぎないんだって思い知らされる気がした。『何を見てきたんだろう?』は、自分たちに何を求めてきたんだろう、って捉えるのは皮肉すぎるかな。何を見て、今のめせもあ。さんと出会って、今のめせもあ。さんのステージを見るようになったんだろう、ってことかもしれない。見る、って動詞はとても意味が広いから、あまり対象は限定したくないなって思ってしまった。

どんなに相手のことを知ったつもりでも、私たちにとって彼らはアイドルで、彼らにとって私たちはオタクで、その両者が一番相手のことが分かりあえるのは、どんな近くで写真を撮ったり握手をしたりする時よりも、彼らがステージにいて私たちが客席にいて、彼らが音楽を奏でて私たちが受け取っている、その瞬間なのかもしれないな、って。
だから、今までで一番アイドルグループとして成熟していて、環境も実力も一番魅力的なステージングができるめせもあ。さんにとって、本当に私たちは『近くに見える』んだね。アイドルとオタクが一体となって会場に作り上げる空間や熱は、彼らの楽しい気持ちや悔しい気持ちを前より強く届けてくれて、きっと私たちの嬉しい気持ちや寂しい気持ちも届いているから、私たちはひとつの団体になれるんだって、ライブ会場の一番後ろで私は思った。この会場の一員になることができて本当に幸せだと思った。
初めてパシフィック展望台を聞いたとき、「団体」って単語にすごく違和感があったのに、今なら分かる気がする。団体の強さ、それが今めせもあ。にはある。

物理的に前より近くに見える、って思ってる人は、メンバーにもオタクにも誰一人としていないと思う。でもそれを肯定させるようなパフォーマンスの、思いの力が今のめせもあ。さんにはあって、それってすごくアイドルだなって。私は思う。どんなに遠くなってもそう言ってくれるなんて、とっても優しいグループだなって思う。


てっぺんの景色はどんな景色なんだろう?ライブ会場のてっぺんで見た景色は、バカみたいにライトが綺麗で、バカみたいに遠くで推しが歌ってる、バカみたいに広い空間に愛しさが満ちていた。地位や名誉を求める天辺じゃなくて、みんなが目指すてっぺんは、その場にいる人全員が幸せで前向きに進んでいける場所のことなのかもしれない。まだ見たことがないからわからないけど、てっぺんの景色の片鱗を私は大阪で見た気がします。
どんなに遠くなっても、どんなに小さくなってもいい。強がりじゃなくて、今なら自信を持ってそう言える気がする。私はてっぺんに立つめせもあ。さんを見てみたい、その空間に居合わせたい。

そう思わせてくれるのがパシフィック展望台で、今回のツアーなんじゃないか、って、私はそう思います。私以外にも今回のツアーでめちゃめちゃ心が動かされた人をたくさん見て、それは演目の企画をした人やいろんな技術さんの力もあるけれど、なによりめせもあ。さんの今の力なんじゃないかな。
もともとかなり強行な予定を組んでいたのに、追加してしまったよ。だって、もっともっと見ていたい、ひとときも目を離したくないって思うから。

これからツアーに行く人、死ぬほど期待してハードルを上げていって大丈夫です。行った人、すごく楽しかったね、みんな追加のチケット探してて分かりみしかない。行けない人も、もし動画になった暁にはぜひ見てください、きっと動画でも楽しいはず。

Twitterで誰かが言っていたかもしれないことを言います。私は初めて行った47の公演とセトリが大好きで、あれを超えるライブは二度とないと思ってたけど、超えました。本気で今までで一番、世界で一番楽しいツアーだと思います。

あと、パシフィック展望台ってエモい(完)


【ネタバレ要注意】Re:triggerの雑感

前半の公演を四回観劇させていただきました。地元に帰ってきてしまったので以降の公演は見ることができないのですが、忘れないうちに雑感と個人的見所、分からなかった部分をまとめました。語彙力がないのでエモとやばいとすごいの連発です。全て個人の見解です、解釈という名の妄想が大量なので「こんな見方もあるんだな〜」って思ってくれる人だけ読んでください。多すぎて文章にしたら大変な量になるので箇条書きです。他にも何か思い出したら追記するかもしれません。また、芝居をやっていた人間からの見方なので、メタ的解釈や演出面からの観点を多々含みます。作品世界に浸りたい方は読む前にご了承ください。

イーリスメインに全体俯瞰1回、オーブ推しカメ、ユオ推しカメ、全体俯瞰でもう1回の四回観劇です。感想もメインに見たメンバーが多め、他のメンバーの表情など見ることができていなくて見当違いな解釈をしているところも多々あるかも。もし「こここんなことしてる人いたよ!」とか「この部分こうだと思ってるよ!」とか「読んで見にいったけどこうだと思う!」とかあったらお話してくれると嬉しいです。
【ネタバレ】しかないのでお気をつけて!逆に、観劇を前提に分かりやすかったシーンは省いているので見ていない方が読んだら???ってなるかもしれません。時系列に並べてるつもりですが、正直どの順だったか曖昧なところもあるので前後してる部分もあると思います。

(❓部分は考えてもそれらしい理由が分からなかったところ、☆は何らかの理由がありそうなところ、★は深い意味付けや答えがない可能性が高いところ)


_____________(以下ネタバレ含みます)

・オープニングでノアが話している時周りにABOが倒れている→箱舟の話をしているのに救われていない、倒れている人がいる矛盾を示唆してるのかな
・ABOのダンス中の食べる速さ、物を書く速さなどがキャラクターによって違って個性がある→オーブの食べる速さめっちゃ早い、ノクトの文字を書く速さが遅い…
・最初はABOの動きや歌声が均質化されている、ロボット感がすごい
・オープニングの「与えてくれないなら聞かないで」のユオの切なそうな表情がやばい
・歌割りがアルバオーブノアの3人のところがある
・「知らない知らない」「大洪水」の桃組の声の圧がすごい
・第17Ark→洪水が起きたのが2/17、山頂に漂着したのが7/17であることにあやかったか
・第6Arkからの移籍→旧約聖書6章からノアの箱船の話はスタート。冒頭にノアが読んでいるのは6章
・ユオの個体番号は8番→今第17Arkにいるのが8人だから一番最初のメンバーだった可能性がある、1〜7は(恐らく)死んでいる
・リールもかなり若番、ユオとかなり同じ時間を過ごしている→外の世界に憧れるリールと受け入れているユオはかなり対照的、二人を見ると所謂『ABO』の考え方や行動のパターンが分かる
・ホクとノクトが22、23の連番、エモ
・オーブとアルバは一番若いはずのノーチより遅い番号→第17Arkに入った順か。全Ark連番ではない→❓☆オーブとアルバが連番ではないのはなんで?オーブとアルバが来てから実験が行われて死んだ?→実際の薬を打たれそうになった時の慌て方やノアの存在から2人は実験を経験していないように見える。移籍した?→オーブとアルバの移籍は外部から来たことのカモフラージュなので一般的ではないのでは+次の❓の仮説と矛盾、元々欠番だった?→理由が分からない
・『オーブとアルバはもともと臓器の実験をする第6Arkにいたが、目や舌に欠陥があり移籍してきた』という情報をイーリスが受け入れている→欠陥があると第6Arkにはいられない?→❓☆ABOは健康体でないといけないという説明から矛盾する(第17Arkは身体に欠陥のあるABOが集められている?→古株のユオなどもどこかから移籍してきたり欠陥がある経歴なのか)
・返事をするのがうさぎさんなオーブがかわいい
・勉強している時イーリスに声をかけられたリールが警戒している、あまり興味なさそうにユオが受け流しているのがABOの象徴的な反応らしい
・歌の途中でうさぎさんの人形で遊んでるオーブとイーリスがかわいすぎる
・外に出ることになって「外周を少し歩くだけですよね」って聞くアルバ全部分かってるよねぇって
・「たのしそう」オーブちゃんの最初の台詞。見た目や普段のとみたけさんからもっと高い大きい声を想定していたのに、低めの小さい声で一瞬で場を支配する感じがすごい。特にそれまで声を一度も出さずに存在感を消していた分5文字のインパクトが強い。ABOが楽しさや新しいものに興味を持っていくきっかけにもなる台詞か
・みんなの統一されたマイナー調の歌に切り込むナイトの圧倒的光属性感がすごい
・勉強が分からないナイトに皆が集まった時、アルバとオーブは行かなかった→ユオに話した通り、アルバはABOがナイトの影響により情を持ちすぎたことを心配している。オーブは単純に興味がなかったか、イーリスが来ることを示唆するために残ったか分からないが、後者ならばアルバと同じく情を持ちすぎたABOをよく思っていない+イーリスがよく思わないと考えていると解釈できる(単純に聞かなくても分かるくらい頭がいいんじゃない?って連番相手に言われて納得しました、たしかにそれくらいの理由かも)
・自由時間って言われてワクワクするリールが可愛い→そんだけソワソワして図書室なの?ってなった真面目かわいい
・「体育館行こうぜ!」突然小学生になるナイトがかわいい
・ユオはいつもパパみたいな顔してみんなを見てたね
・Triggerの話をしようとしたナイトを遮ったアルバは、何もなくてもいつかリールに真実を話していた気がする。ただリヒトの作戦も分からない状態でするべきではないと判断したのか。何も言わないながら、リールの幻想に対して諌めるような目を向けていたのが印象的。→これを見ていたユオはTriggerの真実は知らなかったはずだけれど、外の世界をまだ目指そうとするリールを見守る気持ちとその前向きさに憧れ羨む気持ちが混ざった顔をしていたエモい
・ライラの歌声が超綺麗で儚くてやばくてやばい
・重なるノーチの歌が上手い
・高音に割って入るオーブちゃんの低音の台詞が相変わらずよく効いてる。楽譜の件はアルバのことを周りよりよく知ってるフラグだったね。歌い出した瞬間の高音でノーチが思わずオーブちゃんの顔を見ているのがよい(ここまでのシーンでとみたけさんの歌は全部コーラスに徹しているが、このシーンで初めてオーブらしさを出している感覚がある)
・ノーチに怒られたオーブがうさぎさんで謝っててかわいい
・歌い出すみんなをずっと後ろで見守ってるユオがママ(今までのことを思い出してるような優しい笑みだったけど、このあと実験があることも分かっていて受け入れているような寂しそうな感じが神)
・ユオの様子に気付いたアルバが、指揮をしていたリールに声をかけ、みんなをユオの周りに集めてラストを歌わせるのが最高、そこからユオきっかけに踊り出すのも最高
・外の天気の悪さやオーブのイーリスが来ることへの反応の遅れから違和感を出し、芝居の中の状況の悪化を示すの、演出的にめちゃめちゃ分かり易かった
・ステージ下が磨りガラスで裏に照明が入っていて雷みたいになる演出がとてもよかった
・暗転からとみたんの声がするのに全然オーブちゃんじゃない話し方が飛び込んでくるの最の高、超ゾクッとした、さっきまで気配が薄くてABOの一員に溶け込んでた人がいきなり異分子として浮き出てくる感じ、立ち姿も肩が上がって両手で大事そうに人形を持っていた前半から、片手で耳の一つを掴んでぶらさげた猫背気味に一瞬で変わっていて流石だった
・オーブに対してあまりアルバは脚本的に大きな差がなくて演技が難しそうなところ。ABOのアルバの話し方は無機質で、後半のアルバは手癖の悪さが目立ったイメージ。細かい演じ分けが計算されている印象だった、にーちゃんらしい演技だなぁ、手癖に注目するとアルバの感情が見えやすい
・淡々としたABO時代のリヒト、無気力研究員のノア、熱と勢いと強さと知性を持つ今のリヒト、白服さんは三役を演じていたようにすら見えた。すごい。(あまりの変化に初見の時はノアとオーブで悪役かと思った)
・ABOを思ってか、明るい表情のままに辛い事実を言えないムスタがいじらしすぎる。辛い表情で事実を告げるイーリス、淡々と事実を告げるエレに対し、葛藤と申し訳なさの上で、一番リアルにABOに感謝しその恩恵を理解して正義だと実感している優しすぎる人だからなんだって2回目で分かった。
・実験があることを聞いている間、全部を知っているアルバとオーブは無表情のまま俯いてる回と、アルバがリールに絡まれて慌てて少し悲しそうな表情を作って反応している回があって、アドリブなんだなぁって感じて面白かった。
・みんな俯いたり上向いたりしているのに、1人だけ正面を見て微笑んだままのユオの凄みが半端ない、イーリスに背中を向けるまでずっと笑ってた
・the night beforeのイーリスの歌、この作品で3番目に好き。超エモい
・ノクトとホクは最初は明るい部分ばかりで、その前のシーンで暗い部分を見せて、このシーンでは明るさで隠した暗さを見せる難しいところ。+も-もどちらの出力も伝わりやすくて共感しやすい感情の演技が、2人ともめちゃめちゃによかった。かわいい。
・ライラの妖精感が天元突破している。儚すぎる。虹の橋を一人で渡る話をリールはTriggerを思ってしたけれど、結局ライラが天国への虹の橋を一人で渡ったのは悲しい皮肉だなぁ
・アルバが来て慌ててノーチがはけていったのは、アルバが優等生すぎて怖いから、であってる?それとも何かの予感があったのかな
・オーブからイーリスへの問いかけはもちろん『家畜のように』という伏線の台詞なのだろうけど、読み方から、何か不満や非難のようなものを感じた。アルバが『ABOは互いに干渉するべきではない』と言ったのに対し、オーブはABOやArkへの思いを語るシーンがなかったが、そのやり方に違和感やなんらかの怒りを覚えてここに来たのかな、と感じさせた
・アルバとオーブのイーリスに関する会話は、それまでイーリスに従う側だった2人が年上としての言葉をかけていて、イメージの逆転が心地よかった。短いけれどアルバとオーブの本当の姿を客に伝えるようなシーン。オーブは少し口が悪く感情的、アルバは冷静に物事を分析してかなり饒舌に語るタイプだと示す
・イーリスが志願してArkに来た理由はここまで明かされない。薬を受け取ったあとのムスタの「君は…」の先は、前の文脈から『ABOに対して敬意と感謝をしているんだね、その上でここでやっていることを正義で、必要なこととと思っているからここに来たんだ』という内容を想起させ、敢えてやや誤った印象を客に植え付けている。→もちろんその感情も少しはあったかもしれないが、実際にあとで明かされる理由とは違う。
・❓★ムスタとエレはなぜここにいる?→ムスタは薬を飲みたがらないため、己の病を治したいからではないだろう。エレの言う通り、単純にどこかからの派遣なのか。
・実験前夜の歌のソロパートのライラちゃんが本当に綺麗すぎてやばい、作品中で一番好き、上手いし今後の悲しい結末も感じさせるしうますぎる
・アーベントの登場に本気で焦るオーブは、実験を受けたことも受ける気もない。アルバとオーブは以前リヒトを預けられているからアーベントからの認知がある。アルバは整形しているがオーブはしていないから焦っているのもあるか。上半分を眼帯で下半分をうさぎで隠していたがもっと時間が長ければばれそう。
・❓★作戦内容も知らされていない、リヒトから声をかけられたくらいでアルバはなぜ整形までしたのか→他の人を潜入させるのでもよかったのでは?→自分で確かめたかった、自分の作ったシステムが何に使われているか確かめたかった…?(元の顔が好きではなかった、などの単純な理由かも)
・❓★オーブはどうやってチップを埋め込んだ?→ユオのチップをつける手術をしたのがオーブだとしたら、ユオがある程度大人になってからつけたとしても、オーブは20代後半〜40代となってしまう。恐らくチップは幼い頃から付けられているから、それだけオーブは年上ということになる。→手術できる医者は数人体制、オーブはその一員とすると妥当。
or
→オーブについているのは偽のチップ、アルバの能力によってごまかされている→リヒトが『第1回』Triggerで逃げ出した時にオーブによってチップを外してもらった→その時点で手術をできる年齢、若くても20代前半→ナイトは『成長したらこのくらいの姿だっただろうね』と言われていたから短くて4、5年前にTriggerを経ている→オーブとアルバはそれだけ年上。第17Arkに入ることのできる20代後半ギリギリか、それ以上だがデータを詐称しているか?
(オーブとアルバはアーベントと同じかそれより年上の年配説もあると思う。アルバは整形することで若作りし、オーブは他の誰かにしてもらったか元々若く見える顔だったのか…)
・オーブがうさぎを落としたらイーリスが拾ってくれる、って信頼が厚すぎる、尺のためとはいえ埃を落としてから返してくれるのが最高、それまでも伏線だろうけどイーリスがうさぎとオーブに対してめちゃめちゃ優しいありがとう
・「やったじゃん」っていう時のオーブの口端の上がり方がワルかわいい
・「知りたいです」といったリールにアーベントが一歩近づき、怒りを買ったかと思ったリールは後ずさる。ただアーベントの表情は怒っているように見えない。ABOから向けられたことのない問いかけされたことへの純粋な驚きか、あるいは突っ込んだ発言や問いかけをしたリヒトに重なった部分があったのかもしれない。
・「説明、いらないです」というライラは、他のメンバーのようにナイトによって変わらなかった、というわけではない。勉強中に話したり、リールと未来についてや外の世界についての話(「みんなと虹の橋を渡りたいね」)をしていた。ただそれ以上に「穏やか」の性質が上回り、緊迫した空間を解すための発言だったのではないか。ライラの打たれた後の「見つけたいですね、見つけてください」には、自分が助かりたいから見つかってほしいという色は一切なかった。純粋すぎて怖いくらい、本当に自分の体が誰かの役に立てば良い、運命を受け入れると思っているみたい
・アーベントの「動揺するABOを見て情が沸かないようにするためだよ」はアーベント自身のことも言っているのかもしれないね
・ABOの感情表現を全員に等しくさせるんじゃなく、静かに事実を受け入れるタイプ(ユオ、ライラ?)、声を出さずに内に激情を秘めるタイプ(リール)、歌に気持ちを乗せるタイプ(ノーチ、ライラ?)、大声の発散をせざるを得ないタイプ(ホク、ノクト)に分かれてるのえっっもい
・(私は見えてなかったので知人に聞いたのだけど、かなり上手からなら見えるらしい)歌いながらライラは一度楽譜を取り出してまたしまってるらしい、楽譜はライラにとって生きた証だし未来を約束した確かな証拠なんだよな切ない
・みんなの歌や声を聞いているユオの全てを諦めたような微笑みの表情がやばい
・伏線や立ち位置の影響もあるんだろうけど、ユオはノクトを構うのが好きね
・ライラだけずっと表情が見えないのに、「まだ発症してへんやろ」ってユオが言った時点で、身体の動きで既に辛そうなのが分かるのがやばい、その上でライラだけには声をかけないユオはライラだけが既に発症しているのに気付いてるよねやばい→一番最初に打たれているから一人だけ発症が早いって理解したんだろう、ライラ以外はブドウ糖を打たれたということにはさすがに気付いていない
・「今の話どういうことだよ」っていうナイトはとても優しいしみんなを救いたいんだなかわいい
・イーリスに鉢合わせてうさぎだけ後ろに向けてるオーブがわいい
・イーリスはオーブやアルバ、ナイトがノアの部屋にいるのを見て驚いた顔はするものの、怒りの表情ではなかった。優しさというよりも、自分の目的以外には興味がないのかも
・ABOのアルバは手をきちんと揃えたり真っ直ぐ下ろしたりしてるのに、リヒトといるアルバは腕を組んだり顔周りたくさん触ったりして(パンフにもあったけど)インテリ感が爆発してる
・アーベントは「Triggerの先にあるのは自由じゃない、死だ」というけれど、誰の死かは明言していない。Triggerに選ばれたものが殺し合いや最後に自殺、所長からの射殺により死ぬということ、もしくはハンターとなって死をもたらすという二つの意味か。リヒトのTriggerの先のことは、アーベント自身に死をもたらす存在として解釈できる。
・エレとナイトの歌めっちゃすきー!!!二人とも安定感があるから安心して聞けるしハモリが最高。生まれたての雛→聖書のノアは水が引いたかどうか鳥を放って確かめたという、Arkに戻ってきたナイトは洪水の終わりを告げる鳥の象徴かもしれないな
・Trigger関連の着替えや銃を処理する演出が全般的にすごい。人で隠して着替え、人の動きで銃の勢いを表現するのめちゃいい
・ノア、オーブ、アルバ、ナイトが侵入者であると明かす前の、歌の部分で、ナイトはライラに手を伸ばすが振り解かれている。そのまま背を向けて去っていく→時間軸が前後するが、後のシーンの「今(ナイトがライラの)様子を見に行ってくれてるから」の情景だろう。(観劇3回目くらいで気付けた(遅い))
・整形のくだりのオーブとノアのわちゃわちゃがかわいい、整形に関する疑問に関しては前述の通り
・ユオの「じゃぁ俺らは死なんってことやんな」は本当に淡々と語られる。ノクトは「自分が死ななければいいってこと?!」と聞いたけれど、ユオは実験で死ぬことを既に受け入れていた印象。『また自分は死なないのに、周りの仲間が死ぬのを見なければならないのか』といった意図の方が強そう
・台詞がない時のユオとホクの表情や演技がまじで生きててやばいから余裕があったら絶対見て
・Triggerの説明で「ランダムに選ばれた」・アーベントはリヒトに「君を推薦したよ」・リールは「Triggerの申請は」→申請、推薦があったものはそれを元に選出、何もなければランダム?→Triggerは『絶対殺す』システム、成績のいい人が選ばれやすい→反旗を翻す可能性のあるABOの排除の意図もあるか
・Triggerの歌の桃組さんが上手すぎる、もちろん歌が上手いんだけどキャラの個性を完全に消して説明に徹した歌は前述のオープニングの時と被る、キャラとしての歌と対照的。2番目に好きな歌
・後ろで踊るアーベントがかっこいい、「空か、扉か」って歩きながら言う時に毎回マントをばさっとさせるのがかっこいい
・表情とダンスだけで恐怖、絶望の表現を託されたリールが圧巻でした、このために髪も顔にかからないようなスタイルだったんだろうな
・ここら辺でイーリスはほぼ下手にいて上手を見てるから表情を見やすいように左側の髪の毛が分けられてるのかなって思ったそこまで考えてないよね??
・人工中絶の事実が明かされて、震える両手を見つめるノクトと、それに気がついてノクトの肩に手を載せるユオがえっっっもいリールもいいけどこっちも見て
・Trigger中のナイトを見るエレの表情、ナイトに銃を向けるエレの表情が毎公演よくなっていてすごかった、そのあとの無声+スローモーションの悲痛の演技もよかった
・Triggerで人を殺す時のナイトの表情も毎公演
よくなっててすごく辛かった、エレが銃を構える音を聞いて全てを理解した表情で振り向くナイトがやばい、このシーン台詞ないのに表情で詰め込みすぎすごい
・ライラの歌をイーリスは絶対に歌わないが、このシーンの「産声をあげたのがはじまり」の曲のコーラスは歌ってる(「君も僕も貴方も」だから?)→前半は「レクイエムのような子守唄」だけだったが、Triggerの事実が明かされた直後には「子守唄のようなレクイエム」が追加される→イーリスもみんなと一緒に首絞める振りしてて勝手に驚いた(キャラクターのポジション的にはしなさそうな気がしたけど、『明かされる事実に悲痛な思いを抱いた』全員に共通の振りだったのかな)
・「レクイエムのような子守唄」は中絶によって死ぬはずで今後も実験で死にゆくはずの命に向けたレクイエムと、それを育て生かしているArkを意味する子守唄→「子守唄のようなレクイエム」はTriggerにより生き延びることができるという希望を噂する子守唄と、実際は死しかないことを意味するレクイエムかなぁって
・回想シーンで一瞬現実のナイトになる時ノアが赤い服をナイトの肩に乗せてたり、ナイトの白い衣装や靴をオーブが回収して下手袖に投げてたり、ハード面が大変そうだけど靴までこだわって履き替えさせてたの感動したしどこまでが回想なのか分かりやすかった
・現実に戻る瞬間、リールの「ぼうっとしてた」の台詞の直前、初日公演だけブル転リールサス、それ以降は完暗だった。回想の終わりとして完暗の方がはっきり区切れるけど、回想自体がぬるっと始まったし、リールサスだとリールの表情や動きも取れて個人的には好きでした
・アルバの端末が音を立てて、アルバがリヒトの名前を呼び、オーブが「ライラちゃん、やばいの?」と問う。このあと別に死の描写があること、直接的な死の描写を回避する(CFTMもそうだった)意思が感じられる演出から、意識を失ったことの暗示かな
・「神様は意地悪やなぁ」以降のユオはまた笑っている。ノアの発言にもあったけれどユオは絶望に直面した時、嘆くリールやノーチ、怖れるホクやノクトに対し、『笑うしかない』人間で、恐らくライラも同じだった。ナイトが「ライラは受け入れてたよ」と言ったように、意地悪と言いながらどうしようもない運命だと、ライラとユオは理解している。だからこそ、何かライラを救う打つ手を探している周囲と違い、ユオは弔いの歌を歌うよう言いだしたんだろう。
・みんなが歌っていても頑なに最後まで歌わなかったユオが、ライラが最初に歌っていた歌い出しのパート歌ってるのえっっもすぎて死ぬ、泣きそうに上を見て目を泳がせてるのに口は笑ってるの無理死ぬ死にました
・そのあとノクトが歌いだすのが、歌詞が出来てからライラがいつも歌っていたパートで二度死んだ(ノクトが選ばれた理由はユオがいつもノクトに構ってたのと、あとツイートされてたけど浅井さんの好みだろうな)
・メンバーで作られた天国への虹の橋を渡っていくライラが美しすぎるし照明は白しかなくて虹なんかないのが悲しすぎる
・❓★ライラが死んだあと当たり前のように物語が進行してそれ以上誰にも悲しそうな表情がないのはなぜ?→ハード的に一番ありえるのは以降ライラが出てこない、死の場面も描いたから物語の進行上不要な部分としてカットした。きちんと理由を考えるなら、ABOたちは周りで人が死ぬのは慣れているから割り切るのも慣れている。オーブとアルバも管理する側だから割り切っている?オーブは割り切れていないと思うけどなぁ。
・アルバはハッカーだし電子系は得意だけど薬の調合とかはそんなに得意ではないんだろうな、逆にイーリスが『医師の免許を持っている』フラグが睡眠薬の調合で回収される。「少し悔しいけど」っていうアルバは意外と負けず嫌いだし天才の自負があるんだろうなぁかわいい
・❓☆ライラの楽譜をイーリスが管理したのは遺品だからだろうか?なぜABOたちの部屋に楽譜を返した?→実際問題、遺品の管理は困るだろうから持って帰るのは自然な流れ。ただ、皆が作ったから皆が持っていた方がいいと思って楽譜を返すなら、直接返した方がいい。そもそも楽譜を返す必要もない。夜のうちに扉に挟む形で返した理由は?→夜に自分が出歩いたことをABOたちに伝えたかったから。思い出の品を返すことで敵意がないこと伝えたかったから。(ライラと同じ目に遭わせてやる、とも取れるがそれまでのイーリスの台詞(「なら、飲まなきゃ。俺はそう思います。」)からはABOへのそういった陰湿さは感じない)→(初見の時はそこまで考える余裕はなかったけど)イーリスが裏切っていないことは楽譜が返されることから分かる。→メタ的な解釈だと、楽譜は『未来』や『希望』の象徴ではないか。皆を外に出すきっかけとなるアルバが書き、外へ出る憧れを最初から抱いていたリールが歌詞を書いた。最初に歌うシーンで皆の手に回るが、ユオは見せられただけで楽譜を手にすることはない(ナイトによって未来を考え、希望をもった他の面々と違い、ユオは未だ未来を悲観していた。リールの周りに勉強を聞きにくる面々にも混ざっていなかった。)。その後ライラの手元に戻り、ライラの犠牲によって皆が救われる。死にゆくライラは楽譜を残していき、次に楽譜を手にしたイーリスは、楽譜を持ってアーベントに情報を流し、間接的にリヒトの作戦を後押しする。その後ABOたちに楽譜を返したのは、その後の未来や希望を彼らに委ねる意図とも取れる。
・ここでもノクトとユオ絡ませてくるから、この二人は仲良し設定って確信した
・emergencyの歌、めちゃめちゃ立海(🎾ネタです他作品でごめんなさい)感がして好き、ノアのソロが特に最高
・ナイトに言われるまで、ノアは作戦通りに進んだことに気付かなかった?→自分の想定外のことが起きると動揺するタイプなのかも。過去のオーマイガーのシーンは毎回そうだった。また、ナイトにエレへの感情を語らせるためのきっかけでもあったね
・ナイトに教えてもらったのに、自分で気付いたかのように「作戦は続行だ」っていうノア、アルバやオーブのやった仕事もこうやって威張ってきたのかなって思うと可愛かった
・ユオはまだ外の世界に出ることを怖がっていて一番ABOらしい反応だと思う、ABOの象徴としての役割を担ってる気がする
・ABOの新しい未来を切り開いていくのはいつもリールなんだね
・リールの言葉でノアについていく気になったユオえっっもい
・Triggerを銃弾1発にしたアーベントは、リヒトの一発が自分に向けられることを分かって、期待していたのかもしれないね
・台詞がないのにここからのエレがしんどい
・ナイトの言葉は元ABOでありながら今は実験を受けることのない、外の世界を知った存在だから言えたんだと思う。直接的な言葉を用いずにABOの殺し合いを娯楽としている聴衆、実験によりABOを苦しめているArkの運営への非難が感じられる
・ノーチとオーブの台詞はライラのことを思っていたんだろうなぁ、他の人にはない悲痛さがあった
・どうせ死んでしまうなら未来を知らなくていい、もしノアが言うようにイーリスが裏切っていなくて生き残れるなら自分で結末を確かめる、リールの台詞はそんな意図だったのかな
・ユオはここでもずっと唇は笑ってるんだけど、毎回涙を流してるんだよね、ライラの歌を歌いながらいつも笑いながら泣いている、自分が生き残るかもしれない未来と仲間と同じ場所に死にに行くかもしれない未来の狭間で、死んでいった仲間(もちろんライラも含めて)を思いながら泣いてるんだろうな、一番好きなシーンだし美しすぎるし悲しすぎて死ぬ
・❓★赤い照明の演出だったけれど恐らくそれは銃を撃ったという分かりやすい演出のためで、麻酔弾なら実際は血は出ないはず(頭から血が出るような麻酔弾なら失血で死ぬでしょう)。ナイトがかつて麻酔弾を撃った時も血はでなかっただろうに、エレはなぜナイトが死んだと思ったのか?→銃の形をしているが血で周囲が汚れないように、実弾ではなく致死量の薬が打ち込まれたと勘違いした?→麻酔弾ならば扉を撃ち抜くことができないはず→麻酔弾を与えるような優秀な人間は、どちらにせよ逃がさすハンターにする計画だった。リヒトは実弾だったから扉を撃ち抜けた?
・「(リヒトによって殺されることを)望んでいたんでしょう?」と問うリヒトにアーベントは否定しない。→婚約者のためにプロジェクトArkに参加したアーベントは、婚約者を失った時点で参加している意味を失ったのではないか。新薬開発のために最適なことをしているという自負はありながらも、自身のしていることに良心の呵責があり、一番最初に面倒を見、Arkのあり方に批判的だったリヒトに殺して欲しいと思っていたのでは。
・実弾を向けられたアーベントに、イーリスは睡眠薬を打って殺されるのを防ぐ。イーリスもArkのあり方に疑問を持っていたはずだが、それ以上に人が無為に死ぬのを見たくないのだろう。またアーベントの葛藤も、ライラを看取ったことで共感できたのかもしれない
・客は仮面をつけているはずだけれど、全世界(市民にも放送されていると勘違いした)に生中継されていると知った客は、その日の行動や鼻や口の特徴から、自分が悪趣味なショーを見ていることがバレると懸念して逃げ出した→実際に全世界に中継されれば一般市民を大量に巻き込んだ問題となりうる。だからこそ国の上層部にのみ回る形で配信し、プロジェクトArkを肯定しようとしている日本国家に他国の上層部からの非難を集める作戦をアルバは取ったんだろう
・多ステの人たちにはウケなくなっていったけど、私は何回聞いてもネオおやすみんで笑った
・倒れてるあいだに拭けないからだろうけど、目を覚ましたユオが毎回涙を拭いているのがやばい、演技としてではなくてユオとして生きてユオとして泣いてるんだなぁって、多分あのシーンで毎回泣いてるのユオだけだ
・台詞なしで表情だけでナイトへの感情を表現するエレが凄すぎる
・救われた人がいること、ムスタの存在はABOやライラへの救いに見えた
・アーベントやArkのしていることは殺人に近いものもあるけれど、生まれたことになっていないABOへの劇薬の投与は法で裁くことはできないだろう→アーベントが奔走するプロジェクトArkの立て直しは、現実世界の治験のような形になるんだろうな
・出ていったABOの未来は客の想像に委ねるんだね
・椅子とブロックの舞台美術が神。仕掛けも神。演技と演出と舞台が合致してて気持ちよかった。

もっと大きい会場で見たい反面、テーマ・会場の空気感ともに小劇場感があって好きでした。大きいステージに立つみんなを見たいけど、それとは別に小劇場特有の目の前で生きている芝居を見るのが私は個人的には大好きなので、嬉しかったな。もうこんなキャパでは二度とないと思うので、特別な公演になりました。
脚本、演出、演技全ての質が高く、たくさん考えさせられる芝居でした。正義ってなんだろう、自由ってなんだろう、生きる価値ってなんだろう。自分も振り返って考えてみようと思います。