CFTM雑記・考察に至らない何か

CFTMが終わったので、思ったことをつらつらと書いてみます。ネタバレしかないため、ご自衛ください。
もう二度と嵐くんに会えないと思うと、帰り道で少し泣きました。地元は雪。そんな風情いらないから早く再演してほしい。

CFTMはご存知の通り竹取物語をオマージュにした作品です。お伽噺を元に架空の歴史物語として書き換えたものですね。手法としては古くから一般的な書き方で、最近で言えば浅田次郎司馬遼太郎歴史小説、広く言うなら銀魂や薄桜鬼もその一種ではないでしょうか。
また、登場人物が実は語り部であった、というパターンも王道ではあると言えます。先にあげた浅田次郎さんの「一刀斎夢録」などもそうです。平安後期から鎌倉時代にかけて生まれた歴史物語の流れが、日本の文学作品において恐らくその初期のものだと考えます。語り部が出てくる物語は「鏡もの」と言われるものが一番分りやすく、有名な例でしょう。語り部が登場人物だと分かるものは、今浮かぶなかでは泉鏡花の「薬草取」なども近いかもしれません。ただ、オチが「俺がこの物語を書き留める!」「俺たちだけが知っている真実の物語」的なのをすごく見た記憶がある。漫画かアニメか最近見たもののなかで。思い出せなくてなんかもぞもぞする。もし分かる人がいたら教えてください。

CFTMの難しいところは、最後の展開が怒濤で、ひとつの台詞を聞き逃すと結末が分からなくなるところです。舞台あるあるですけど。それと、考察の時点で古典の知識がいるのかもしれないなぁ、と思っています。理解されてる方もほとんどかと思いますが、まずは(忘れないうちに)物語の筋を追ってみます。

始まりは海月の夢。何者か分からない月からの使者の戦いの最中、一本の矢に倒れ、自身が負けたせいでお仕えする帝(上様)の最愛のかぐやが月に帰ってしまう夢。この時点でかぐやは「もう(戦わなくて)よい。」という趣旨のことを言ってるんですね。伏線が早い。
弓弦の登場でこれが海月の悪夢だったと明かされて物語が始まる。

月にいるかぐや姫は不老不死の薬を飲まず、月詠も飲むように提案しながら無理に飲ませることはしないため、すっかり老いてしまっていた。ここでかぐやと似ているとして、弟の朔夜が現れる。勉強を教えてくれる五人の先生の自己紹介が挟まって、かぐや同様朔夜が地球に思いを抱いていることが分かる。月詠と博士の歌で地球と月の違いが示される。ここの月詠はあくまで教科書通りのことしか述べず、彼自身が地球に対して何を感じているのか定かではない。対して博士は月の優位性を歌う。
物語の根幹に関わる疑問ではないかもしれないが、天の羽衣が三種の神器になっていることは少し気になった。不老不死の薬や地球と月の移動装置は確かにすごい。でも地球での記憶だけを忘れてしまう天の羽衣は素晴らしい発明品なのだろうか?しかも、それはかぐやの纏っているひとつしかないのだろうか?それなのに三種の神器?うーん、でも確かに今の地球にはないすごいものだからいっか。

それからかぐやが月見団子を食べたいから持ってこい、と朔夜に我儘を言い、月詠や博士には内密に、五人の先生と共に朔夜は地球に旅立ちます。朔夜のお色直しといって捌けるのは豊と晴。その二人がどこまで知っているのかは分かりませんが、逆に残った嵐、静、賢者は何か知っているような気がします。特に嵐なんて、晴や豊に一緒についていきそうなのに。「地球のことを覚えているか」とかまをかける賢者に、かぐやはしらを切ります。真顔で追及する二人に対して、嵐は全てを知っているような穏やかな笑みを浮かべて黙っています。ただ、「なぜ薬を飲まないのか」という直球の静の質問に対しては制止に入ります。嵐は薄々かぐやの記憶があることに気がつきつつ、優しいというのか事なかれ主義というのか、といったイメージを受けます。対して静は、かぐやのことが気にかかるのか真相を暴こうとする印象です。賢者は後の「誰も、誰の事もわからないものだよ」の台詞のように、他者への理解を諦めているような、あるいは掟を破った(※1物語の根幹に関わるので後述)かぐやに対し、ほんの少しだけ真実を明らかにするお膳立てをしながらそれ以上に助けもしない、静観という厳しい姿勢を示しているように感じました。

場面は地球に移り、弓弦と海月の稽古シーンに。そこに上様が現れ、海月が三十年間時を止めていることが明かされ、不老不死の薬を飲んでいることが分かります。そのあと月からのワープ装置の起動に気付き、弓弦はそちらに駆けていきます。
地球に降り立った5人組はもたついている間に朔夜がはぐれてしまい、5人と弓弦は再会の喜びを味わう間もなく朔夜を探しに向かいます。朔夜を見つけた場所で、5人は海月と出会います。海月は朔夜がかぐやの弟であることを知り、5人が弓弦の知り合いであることから月の人間であることは恐らく気づきます。しかし、「月からかぐやを連れ戻しに来た5人」と同一人物であることには気付いていません。
なぜかぐやとの仲を引き裂いた5人に海月は怒りを抱かなかったのか?という疑問を見かけましたが、恐らく気付いていないのです。海月の記憶は他にも欠陥があります。「自身が二人の仲を引き裂いた」という強迫観念に駆られ、忘れていた記憶を思い出すシーンがあります。夢の中で見る月の人々の姿も、普段の月での衣装に重ねて白のオーガンジーの布を羽織っている。顔には仮面がつき、声もほとんどありません。海月の戦いの記憶はひどく曖昧です。
話を戻します。場面は月に戻り、朔夜を月に送ったことに対してかぐやが博士と月詠に攻められるシーンに移ります。その会話で、博士がかつて自らかぐやを地球へ送ったことが分かります。
さらに地球へ話が戻り、かぐやが地球にいた頃の回想シーンに入ります。竹から生まれたかぐや姫は、竹取りの翁に大事に育てられました。その美貌を聞き付けた殿方からの求婚にも耳を貸しません。帝の声にも応じなかった姫でしたが、最初は断りの文を返していたのに、文を交わすうちにだんだんと心が引かれていきます。ここまでは古典の竹取物語に同じです。
しかし、かぐや姫からの返事に帝は満足できず、従者の海月によい案はないか尋ねます。海月は、和歌に音をつけて歌にすることを提案します。ミュージカルあるある。

ただここの台詞が少し物語を分かりにくくしています。
「歌詞の意味も分からないのに、今も耳に残る子守唄があります。」
ここで海月の言う子守唄は、かぐやが朔夜に歌う子守唄とは別物です。海月は帝の従者として文を受け渡しできる年齢。かぐやが地球に来て数年で大人の姿にまで成長したことを考えると、海月はかぐやよりも先に地球では生を受けています。つまり、海月はかぐやの子供、あるいは弟であること、かぐやの子守唄を聞くことはありえないのです。
海月のいう子守唄は、海月が赤ん坊だった頃の、(作中に出てこない)海月の母親が歌ったものと考えるのが妥当でしょう。和歌に音をつける、という突拍子もない、ミュージカルにするためのある種メタ的な提案に説得力を与えるための台詞と考えています。

ここから、帝とかぐやの音に乗せた歌のやり取りが始まります。平安時代、貴族の男女は直接会うことを許されなかった。帝の従者である海月と、かぐやのお供である弓弦は、それぞれの主である歌を受け渡すことで親しくなっていきます。そこで、ある日弓弦はかぐやから、別れの歌を託されます。それを海月に伝え、海月は帝に伝えるためにその別れの歌を覚えた。海月は言います。
「その悲痛の文を受け取ったときのことを、よく覚えている。」
そして、別れの話に。5人はあの時戦ったのが自分たちだと分かるような発言をしますが、海月は既に思い詰めていて気付きません。そのまま回想シーンは終わります。

夜の海辺で歌いながら刀を振っていた海月に、朔夜は聞いたことがある歌だと声をかけます。これが、先程出てきた、海月が帝へと伝えるために覚えた、かぐやからの別れの歌だったのです。かぐやはその歌を今も、子守唄がわりに朔夜に歌い続けていたのです。
その後話は進み、海月が朔夜に稽古をつけているのを、5人と弓弦が見守ります。嵐は「体育教師がいなくて困ってるんだ。」と弓弦に言う。嵐も十分に刀の指導ができるはずなのにせず、そう言ったのは、弓弦の帰る場所を残して待っている優しさだと感じます。一方静は不老不死の薬を弓弦に押し付け、月の様子について弓弦に問われても、戻ってきて自分で確認しろと言って去ってしまう。それに対して嵐は怒ります。かぐや、嵐、静、賢者のシーンと同じ構図です。やかましい嵐、落ち着いた静という性格でありながら、人に対しては、静観して相手の決断を受け入れる嵐と強く問い質そうとする静は逆の性質を持つように思います。
6人がいなくなると、朔夜が巻き貝を耳に当てるシーンになります。海月はそれを見て、何か言いかけてやめてしまう。同じことをかぐやがしているのを、海月は見たことがあるのです。

順番は入れ替わるかもしれませんが、この辺りで、弓弦が月にいる博士にコンタクトをとるシーンがありました。かぐやが月に帰ったあと、上様の様子を見届けてほしいと言われ、ずっと地球に残っていた彼は、かぐやが薬を飲まずに老いてしまっていたことを知らなかったのです。
「かぐやを無理矢理月に連れて帰ろうと言ったあの日から、お前は様子がおかしい。」※2
通話の切れる直前の弓弦のこの台詞が、特に重要な伏線でした。

また、舞台は月に戻ります。月に戻った朔夜は、勝手に地球に行ったことを月詠に責められます。そして、かぐやの願いであった月見団子を渡そうとするものの、かぐやは月「見」団子を食べたかったと言います。地球からでないと、月を見て食べる団子ではないですからね。その屁理屈に、地球に行きたいのなら、そう言えばいい。嵐と静の言う言葉を無視し、かぐやは退席してしまいます。不老不死の薬をまた口にしないかぐやに、月詠はかぐやが地球でのことを覚えているのではないかと問いますが、天の羽衣を着ているのだから覚えてはいない、とかぐやは嘯きます。

静は、博士のもとを尋ねます。軽口を叩きながら、その本意は、なぜかつて、かぐやを地球に送ったのか問うこと。答えない博士の代わりに賢者が現れて、「野蛮で恐ろしい地球に行けば、地球への憧れがなくなると思ったから。」と答えを教えてしまいます。そのまま賢者は静に退室を促しますが、博士の秘密は暴かれてしまった。※1と重なりますが、これは博士がタブーを犯したことへの静かな制裁にも見えます。



その夜、眠れない朔夜のもとに嵐が訪れます。「刀を教えてやろうか?」弓弦が月に戻る気がないと分かった今、誰かが月の御子である朔夜に刀を教えなければならない、と思ったのでしょう。ひとしきり騒いだあと、朔夜は嵐に巻き貝を手渡します。耳に当てると聞こえる音が何の音なのか自問する朔夜を嵐は穏やかに見つめて、それからいつもの茶化したような感じで去っていきます。恐らく、かつてかぐやが同じことをしたのを知っているのです。すごい。大いなる愛。一番好きなシーンです、みんなもよかったらここの表情見て……、すごいから……。まぁ私の好みなんてどうでもええねんけどな!

(※3ここから問題のシーンです、解釈に自信がないので浚うだけです!)
海月がまた夢を見ています。そのなかで、海月が初めて帝と出会ったときのことが語られます。海に浮かぶ月を見ながら、帝が乞食同然の海月に名前を与えた。それから、海月は帝を幸せにすることに人生を捧げようと誓います。
悪夢から覚めた海月のもとへ弓弦が現れ、今の帝の姿である、上様もやってきます。そこで、かぐやが月へ連れていかれてしまう戦いで海月が弓に射たれたこと、その傷を治し海月の命を救うために、海月に上様が不老不死の薬を与えたことが明かされます。その上で上様は、自身の命が絶えそうな今でも薬は飲まないと言う。上様がいなくなったあと、海月はもう一度、かぐやと上様を会わせたいと言います。「そうすれば、お前の悪夢は終わるのか?」「上様は、お前が悪夢を見続けていることを心配している。」弓弦の言葉に海月は答えませんでした。

続いて、かぐやが朔夜に子守唄を歌うシーンです。朔夜はそれを聞き目を覚まし、かぐやに聞く。この歌の現代語訳から考えると、かぐやは地球にいたときの記憶を残しているはず。(かぐやが月に戻った三十年で古文から現代文にまで文法が変わることはないと思うんですがそれは置いておきます。古文の先生は嵐。嵐が気づいていないわけ、なかったんですね。)
かぐやの返事を肯定と理解して、朔夜は5人にかぐやの記憶が残っていることを告げます。天の羽衣を着ているはずなのに、なぜ記憶が残っているのか。そこで、かぐやの天の羽衣が偽物であること、それは博士が仕組んだことであると明らかにされます。

博士はずっと前からかぐやに思いを寄せていた。月に閉じ込めておきたいと思いながら、地球へ行きたいというかぐやの願いを、タブーであるのに叶えてしまった。大好きな人の願いを叶えたいのは、よく分かります。地球という月に比べて遅れた星で、かぐやは地球に幻滅するはずだと思っていたのに、逆に好きな人を作ってしまった。
博士は、叶わない恋の苦しみを共に味わえばよい、と偽物の天の羽衣をかぐやに着せます。けれどそれは、ずっと明かされなかった。恐らくかぐやは、悪意によってなされた忘れないでいることを、逆に喜ばしいと感じていたのでしょう。だから記憶が消えていないことをを隠していた。だから、博士とかぐや以外は知らなかったのです。まぁ気付いてはいたでしょうけど。
そのかぐやの心を代弁するように、朔夜が言います。自分なら忘れたくない、本当は忘れてしまうのがかわいそうだから忘れないようにしてあげたんじゃないの、と。愛の物語であり、豊の台詞にもあるように、好きになった人がどうやっても手に入らないのはどうしようもないし、それを妬んでしまうのも道理です。ただその行為をかぐやと朔夜が別の理由から肯定したのが、この作品を通しての博士への救いなのだと思います。
そこに、地球にいたはずの弓弦が現れる。博士へ怒りをぶつけようとした弓弦を月詠が止め、朔夜の立てた作戦を実行することになります。


朔夜は、上様とかぐやを再び出会わせるために、自身がかぐやの若い頃の姿に変装し地球に向かい、一度は上様との対面を果たします。ただ、それでは上様の気持ちは満たされても、かぐやは辛いままです。朔夜は、やはりかぐやが上様に会いに行くよう説得するため、海月を連れて月へ戻ります。
若い頃のかぐやの姿にそっくりな朔夜と出会えたなら、上様は幸せだろう、自分が行く必要はないとかぐやは言います。海月は、上様は朔夜がかぐやの影武者であったことに、本当に愛した人ではないと気づいているはずだと訴えます。そのとき、地球と月の中継が繋がり、博士とかぐやは直接話す機会を得ます。かぐやは地球での記憶が残っていることを認めた上で、それを喜んでいると博士に言う。ひどい仕打ちをした相手ではあるけれども、遠回しに感謝をのべているのだとも感じました。
お供たちの説得もあり、かぐやと上様は真の対面をします。そして弓弦は海月に聞くのです。
「これでお前の悪夢は終わるのか?」

ここで観客は、かぐや姫の物語を見ていながら、本当は海月の物語であったことに気付きます。海月はなおかぐやと上様の仲を守れなかったことを悔いている。
そこで、かぐやは海月に命を救われたのだと告げます。月の使いから月に戻るように伝えられた時に、かぐやはその未来から決して逃れられないことを理解します。月に連れて帰られてバラバラになってしまうのならば、かぐやと帝(今の上様)は共に海の月に帰り、死んでしまった方がよい。そう思った二人を海月は止めます。その結果、二人は潔く別れて生き続けることを選びます。
海月の記憶は、この辺りから曖昧です。自責の念に駆られ、忘れていた、自身が戦ったときの記憶。
かぐやは、どうせ別れるのなら華々しく門出を飾りたいと、お供たちに模擬戦闘を命じたことを明らかにします。そこで海月はかつて自分が戦った、かぐやと帝の仲を引き裂いたのが目の前にいる朔夜のお供たちであると気付くのです。
彼らは皆、博士に命じられた通りかぐや姫を連れ帰ることができればよく、地球人を傷付けるつもりはなかった。海月が射られたのは味方の流れ矢で、彼以外に犠牲者はいなかった。ただ彼は運が悪かったのだ、と嵐と静はあっけらかんと言います。豊と晴はどこか同情する表情。一方、その話を聞く賢者はひどく無表情で、博士は怯えた表情をしています。博士はその話を聞いて初めて、自分がかぐやを思う気持ちのせいで、海月の人生を狂わせてしまったことを知ったのです。
「なにも、しらなかった…。」
「地球からかぐや様を連れ戻すように命じたあなたは異常でした。だから私は、地上にいる弓弦とコンタクトをとって、できるだけ派手に戦うようにとこの者たちに命じたのです。」
博士と月詠のこの台詞は、※2と関連を持つ、物語の結末を担う台詞です。この三つが全てといってもいいくらい。(怒濤すぎて実は私は3回目の観劇でやっと消化できました。)
自分の愛に振り回され、かぐやを地球に送ったものの、かぐやが愛する人を作ったことに怒り、自身が月の技術を掌握していることをいいことに無理矢理連れ戻させた博士。物語の始まりは全てその叶わない愛でした。

嵐と静の「運が悪かった」は、その愛をどうしようもないことだと受け入れているようです。晴や豊、事実を告げたあとの月詠や弓弦の表情は、海月への、そして博士への同情や哀れみのようにも思います。ただ無表情の賢者は、少しだけ責めているようにも感じます。確かに博士は禁忌を犯し、何の罪もない海月を傷つけたのですから。

海月は「なんだ…。」とこぼしながら、どこか安心したようにも見えます。人と人が交わるなかではどうしようもないことで、そして傷付いたのが身寄りのない自分だけであったことに安堵したのかもしれません。
「これでお前の悪夢は終わるか?」
「代わりに賑やかな夢を見そうだ。」
そう言って月の人間は月へ帰っていきます。

上様が亡くなり一人になった海月のもとを、朔夜が訪ねてきます。朔夜は、(遮られるものの)自分がかぐやと帝の子供であったということを告げます。つまり、かぐやは月で出産をしています。
不老不死の月の世界でどのように人が生まれ、死んでいくのかは定かではないですが、恐らく姫に遣えていたのがお供たちは、かぐやが出産したことを知っているのです。※1の、賢者の掟を破った「かぐやへの」怒り、怒りとまで言わなくとも静かに責める姿勢を持っていたのでは、というのはこの点です。かぐやを地球に送った博士だけでなく、さらにそこで恋愛をし、子どもまで作ったかぐやも掟に背いている。賢者は博士にもかぐやにも、秩序を乱すものとして厳格な態度を示していると考えます。

話はそのままラストに向かいます。上様を守る、という生きる意味を失った海月を心配して、お供たちがやってくると、海月は生きる意味を見つけたと言います。
「うまくいくかわからないけど、書き留めてみようと思うんだ。」
かぐや様が怒らないように、恥ずかしがらないように、所々伏せながら。

そして書かれたのが現代に残る竹取物語であった、というお話です。あらすじなが。あらくないすじでごめんなさい。

とりあえずまずは、名前について考えてみたいです。
海月の読み方、クラゲだと思ってたの私だけじゃないですよね。でもクラゲって海に映る月みたいだから海月って書くらしいです。同じ意味だった。命名の理由は作中に出てきた通りでしょう。ロマンチック。

五人衆の名前が月の海からとられているのは結構タイムラインでも見ます。嵐の大洋、晴れの海、静かの海、豊かの海、賢者の海。このなかで「賢者」だけどこか異質な感じがします。嵐、晴、静、豊、とどれも一文字で、自然を感じさせるものなのに、突然の賢者。波の海、雲の海、氷の海なんて名前もあるのに、賢者。それと、賢者の海だけは、五人の名前にとられた海のなかで唯一月の裏側に位置するものだそうです。なんの意味があるのか。月の裏側の命名は月の表側の命名よりはるかに最近のことですから、長く生きていたというわけでもなさそう。わからん。
晴は朔夜をかぐやにしたて、またかぐやの老いへの恐れを救うための役目、豊は物語を歌でエンディングに導く一番重い役目、静は冷静にキーパーソンを追及して物語を進める役目、嵐は朔夜が古文でできた歌を読み解くために、また愛をもって愛を教える役目、賢者は優しげに見えながらタブーを犯した人間には厳しくあることで真実を暴く役目を持っていたのかな、と勝手に思っています。
愛を後押しするのが晴、愛を伝えるのが豊、愛を許すのが嵐、愛を守ろうとするのが静、愛だけで全てを許さないのが賢者、みたいな。分かりにくいですねごめんなさい。

月詠は、月読命の呼び名であり、古事記にその初出が見られます。一方、日本書紀では月読命の別名として月弓の記述も見てとれるそうです。
月弓は、弦月の別名とも言います。上弦の月、もしくは下弦の月。弓張り月とも呼ばれる月のかたち。武器が弓のわけでもなく、一見月に由来の無さそうな名前の弓弦はここからとられているのではないかと推察します。
そうなると、弓弦と月詠は対というか、コンビともとれる間柄なんですね。かつてかぐやの一番近くに遣えていたのが弓弦、今かぐやの一番近くに遣えているのが月詠。かぐやを月に連れ戻そうと博士が命じた時、弓弦に裏でコンタクトをとったのは月詠だった。博士を殴りに月に戻ってきた弓弦を制したのは、月詠だった。
公演後に気付いたのでこのくらいしか浮かびませんが、恐らく先生たちのなかで、5人組と月読コンビ、博士に分かれるような気がしています。

朔夜は月のでない、新月の夜。
かぐやは(後世の当て字かもしれません、出典は見つけられませんが)、月の輝く夜、輝夜ではないかと推察します。
博士は、全ての始まりのキャラクターです。彼の愛が根元にあり、物語は広がったのですから。

ここまではなんとなく読み取ったことなんですが、続いて考察の中の疑問点をあげてみます。

①※3で出てくる歌。
「怯えているのはなぜだ?怖いからか?震えているのはなぜか?知っているからか?」
「暗闇のなかで泣いていた」
と帝は言い、それに対して海月は「言われて、初めて自分が泣いているのだと気がついた」と言います。そのあと帝から名を授かったものの、また繰り返すのです。
「怯えているのはなぜだ?」
「怖いからです」
「震えているのはなぜだ?」
「知っているからです」
名前をくれた帝がただ、幸せでいてほしかっただけなのに、と続きます。

最初に震えている、怯えているのを名前に関することだとすると、名前をもらった後にも震えている、怯えていることに辻褄が合いません。
仮説として、海月が月の人間だったというパターンを考えています。最初に震えている、怯えているのは、はっきりは分からないけれど、名前をくれる帝が幸せになれないと感じている。そして名前をもらったあと、月からの使者が来たかぐやが抵抗できない、抵抗しても叶わないと知っているから、別れの日が来るのを怖いとするパターンです。ただ、これは続く②の理由でなしな気がします。
今一番考えているのは、繰り返される「震えている」「怯えている」の理由が違うパターンです。一度目は、自分に名前がないことが怖くて震えている、名前がないということは誰からも必要とされず生きる意味がない、その事実を知っているから怯えている。ただ自分の名前も知らない海月はそのことを言語化できないため、帝の自問自答になっています。名を与えられ、海月は一度自信と喜びに溢れたものの、自分では帝を幸せにできないということに怖がり、薄々知っているから震えるのではないか、と。

②紋章問題
かぐや、帝、上様以外に紋章があることから、恐らく不老不死の薬を飲んで時が止まった人に紋章がでるのでは、と思っています。パンフを見て気付いたのですが、海月以外月の紋章なのに、海月は地球の紋章なんですね。日本を中心とした地球に太陽が上っていて、月の軌道が地動説で示されている。
これは、薬を飲んだ地とも考えられますが、のんだ場所で紋章が違うのも変な話。これは月の人間か地球の人間かの違いなのかな、って少し思ってます。体質違ったら違う柄、みたいな。
でも、紋章の位置についてもさっぱりなので、やっぱり謎が深い。

③月の満ち欠け問題
私の記憶では、照明で作られた月は、最初に海月が夢から覚めたときは満月でした。次の海月の台詞では、南の空に浮かぶ半月です。その次に照明で作られたのは左が欠けていった10日目の月、三日月、新月と推移していたように思います。満月から新月に推移するときは、右側から欠けていくはずなのです。なぜだ。
最初の歌のシーンで、お供たちが背中をこちらに向け、指で時計の針が進むように腕を動かす振り付けがあります。もし彼らが正面を向いていたら、その針は反対方向に回ることになる。彼らが後ろを向いている理由は(単にかっこいいっていう可能性もあるんですが)分からない。海月の記憶の曖昧さからしてももしかすると逆行しているのかな…?と思ったものの、月の人間に時空を越える力があるならそれを言ってそうだからなしなのかな。




④弓弦について
弓弦は、あのまま海月と地球で年を重ねるのだと思っていました。嵐が言ったように、朔夜に刀を教える人材が必要で、最後の会話に少しありましたが、海月が人間としての寿命を迎える前に、朔夜が海月に勝てるように育てる、ということに生き甲斐を見いだしたのかとぼんやりと思います。時の流れに従うのも悪くない、と語った弓弦とは少し矛盾を感じましたが、あの時薬を飲まなかったのは飲みたくなかったわけではなく、自分がもらった薬を上様に渡せば上様が生き永らえるのでは、ということが過ったのなら納得できます。上様が亡くなった地球に生きる意味は見出だせなかったのかもしれません。ただ、置いていかれる海月はあまりにかわいそうだな、って少し思った。









分からないことだらけでしたが、いろんな人とここはこうじゃないか、ってお話できたらきっと楽しいだろうなって思えるボリューミーな物語でした。表情ひとつ、台詞ひとつから見えるものもあると思うので、円盤の発売を楽しみに待ちたいと思っています!

Muddy Waterについてノリとテンションで考えるだけ

※全文ノリとテンションです。

 

 

Muddy Waterの歌詞的に歌われているのは主にとみたけ、白服、あおいの三角関係。

泥で汚れている演出からあおいが白服を殺害、それに怒ったとみたけがあおいを殺害。後者はMVでの演技シーンでも描かれているし、ラストのしろあおだけが立って残りが座っているのは、二人だけがこの世にいないことの暗示ではないか。また、このことからしろあお以外のメンバーは生存説をとる。
たくさん考察してる人いるだろうし分かりやすいので三人に関してはこのくらいで。

残りのメンバーの関係性はこの歌で歌われている関係でなくても自然なので、「三人で」は冒頭の三人にかかるものとし、他メンに関しては広く解釈の余地を残す。前作のshadow kissのイメージを引き継いでいることも明示的だが、一方で、前作では全員のキスシーンが描写されるため、明確なベクトルが分かりにくい。今作で描かれた三角関係もshadow kissだけでは明らかでなかった。前作に関しては、とみたけと白服のキスを筆頭に、いくつかの『尺が長い』『背景や演出が凝っている』『冒頭、ラスト、キャプチャーなどの印象的なシーン』といったもののみをとりあげる。
他メンに関する考察として足りない部分は、恐らく同じ白ワイシャツを着用している写真集「KISS」を元に考える。

振り付けから、全員があおいを撃つような仕草をするため、全員が白服を殺害したことに対して反感を抱いており、白服が皆から好かれていたことを示すと共に、直接手を下さなくても、全員が大きく言えば「加害者」、細かく言うなれば「とみたけがあおいを殺害することを分かっていて放置していた」と捉える。

ノックソ、フォーゲルのみMV中で接触するため、まずはそこから検討する。
一番のあおとみ以外の最初の歌詞割りは、白服、フォーゲルの「しとしとこぼれる孤独な答え合わせ」(MV中のソロ画像あり)。フォーゲルはあおいが白服を殺害したことに対する第一発見者かつ、白服と仲のよい、あるいは理解者ではなかったか。歌詞や写真集などからこの二人の恋愛描写は読み取れないため。(むしろ写真集とMVを共に検討するとフォーゲル→気まぐれプリンスのベクトルのみが浮かび上がる。後述するが気まぐれプリンスは本作のなかで孤立、さらに兄プリのイメージを持つため、片思いだったかもしれない。)二人の登場シーン、二番Bメロ後半では、フォーゲルはノックソの方を一瞥もしない。彼の頭のなかは恐らく白服のことでいっぱいだ。あるいは、これから殺されるあおいのことで。ノックソは、そんな彼を過去や同情、嘆きから振り向かせようとするが、諦めて離れていく。
この振り向かせようとする意図は、恋愛とも友愛とも読める。写真集の二人の写真からは、ノックソ→フォーゲルのベクトルは恋愛、フォーゲル→ノックソのベクトルは友愛かと想定できる(ただのっくんは友愛でも耳に手を添えるくらいはしそう)。どちらにせよ二人は決別する。その後の二番サビのクソゲルユニゾンが「流れはさえぎれない」。時は流れてフォーゲルは心を痛めたまま孤立し、ノックソは一人で歩き出す。

このノックソとフォーゲルの決別シーンの既視感が、写真集のノックソと野崎弁当のシーンだ。お互いに目を合わさず、躊躇いの手を残しながら離れていく。ノックソは同様に何人もの人に別れをつげて来たのかもしれない。発表順を時系列順として考えると、今作のノックソと野崎弁当は決別後と考えられる。論拠として、一番サビ、ラスサビの歌割りとMVのソロショットが挙げられる。ノックソと野崎弁当のユニゾンは「錆びる心臓」。
心臓が止まる→時が止まる、と解釈できる。野崎弁当はノックソと別れてから、孤立している。このことはMVから見てとれる。

野崎弁当のもうひとつの歌割りが、二番Bメロの気まぐれプリンスとの歌唱だ。「はたはたぶつかる歪な質疑応答」。気まぐれプリンスもMV中ではほとんど孤立のイメージを貫くため、このユニゾンは二人がそれぞれの場所で自問自答していると考える。あるいは、傍観者としてあおとみしろのぶつかり合いをみているか。野崎弁当は作中で全てを諦めたように動かない。野崎弁当と白服のキスシーンは前作のキャプチャーにも、渋谷の看板にもなっていた。あおとみしろの三角関係で描かれるほどの重さはないにしても、少なからず虚無感を抱いているのかもしれない。

9人を3:3:3に分けるなら、あおとみしろ、野クソゲル、兄プリ煎だろう。
兄プリ煎、って珍しいな、まさかこの三人なんて、と最初は私も思ったし、そう思う方も多いだろう。KISSの写真集を見れば、その謎は解けるはずだ。

野崎弁当と対照的に、気まぐれプリンスはメイン三人以外では大きい行為を移す。
位置や光の向きから考えて外を見晴るかす位置におり、MVの時間軸が(白背景の部分を除いて)基本一方通行のため、彼はとみたけがあおいを殺害するところを見ていた。表情を変えずに走り出す彼は、(冒頭にも書いたが)振付から考えるとあおいの殺害に対し反対の意思はない。事実の確認が済んだ時点でこれ以上の関係がこじれることをふせぐために、とみたけに見られる前にその場を離れたと考える。急いでその場を離れなければならない理由として、これが最も分かりやすい。

気まぐれプリンスの残りの歌割りは、にーちゃんと一緒である。落ちサビのにーちゃんの「lay me down once again」からの、気まぐれプリンスの「lay me down with you」。
この二人は、shadow kissのなかでも尺の長め、かつステンドグラスを背景とした印象的なシーンを持つ。一方で写真集では、白背景と部屋撮影の両方で出てくるものの、白背景の方の恋愛イメージは薄く、部屋撮影の方では気まぐれプリンス→にーちゃんのベクトルが強く、足の脛へのキスの意味は「服従」となる。司祭としての禁断を破り、ステンドグラスという聖書の象徴、祭壇の目前でキスを交わした二人だったが、写真集の時点では少し距離が開いている。
私は、これは二人の優しさなのではないかと意訳したい。前作の時点で、幸せな未来がないことを自覚したにーちゃんは徐々に距離をおく。今作においてそれが確信と変わった二人は、接することはなかった。もしかすると、走り出した気まぐれプリンスはにーちゃんのもとへ走ったかもしれない。それでも、気まぐれプリンスはとみたけがあおいに手をかけたという事実のみを伝え、にーちゃんはもしかすると少しだけ悲しそうに微笑むだけにすぎなかったのではないだろうか。自分たちへの思いに蓋をしながら、それでも求めてしまう思いが落ちサビのにーちゃん(→とみたけ)→気まぐれプリンスのリレーなのだろう。

この二人と共通の歌割りを持つのが二番煎じである。まずは気まぐれプリンスと二番煎じのユニゾンだが、一番サビとラスサビの「地面は固まらない」。この二人の写真集でのキスも髪の毛、意味は「思慕」とそこまで重視する必要のある関係ではない。あおとみしろほど劇的ではないが、静かに揺れ動く気まぐれプリンス、にーちゃん、二番煎じの状況を示しているのかもしれない。

最後に残ったのは、にーちゃんと二番煎じの「朽ちる感情」だ。
写真集において、にーちゃんはとみたけの太股へのキスする。意味は、「支配」。写真集のにーちゃんと二番煎じは、直接的にキスはせず、依存しあうような姿を見せる。
前述のにーちゃんと気まぐれプリンスの姿から、この「支配」は密やかにキスを交わした二人に対し、皆に見える場所で深いキスをしてみせたとみたけと白服へのストッパーだったととれるかもしれない。
今作で顔を洗って鏡を見つめたにーちゃんの姿は、強い力を持った目で自身を見つめながら、自身はとみたけたちのようにならないこと、気まぐれプリンスとの距離をとり続けることを強く言い聞かせる。同時に、とみたけがあおいを殺すだろうことを分かりながら、受け入れる姿勢をとっているようだ。
写真集段階で気まぐれプリンスと距離をおいていたにーちゃんと、(後述するが)とみたけと以外に印象的なキスシーンがない二番煎じは、お互いを慰めるような姿を見せる。そして、それぞれが心のうちに隠した気持ちを、「朽ちる感情」と歌ったのだ。

最後に、二番煎じのMV出演シーンで一番大きいのは、二番のAメロだ。上を向く彼が写り、あおいがうずくまる姿が写る。左下を見る姿が写り、白服ととみたけの白い部屋にいるシーンが写る。あおいに声を荒げるとみたけが写ってから、左手を見つめる二番煎じのところに戻る。
前作で一番最初にキスを交わしたのは、二番煎じととみたけだった。もしあのキスがなければ、とみたけは白服とのキスにいたらず、今作のような悲劇も起きなかったのかもしれない。
「助けて 叫んでも泥にまみれ 汚れた手じゃ誰も掴めない」と歌うとみたけに対し、溜まった水に手をつけているのは二番煎じの手だ。とみたけは彼の手を掴めないし、彼もとみたけの手を掴むことはできない。全てを理解してしまった二番煎じは、自身の思いを胸に秘めたまま、最後まで傍観者としての姿勢を貫く。

ここまでが私の考察です。

2:13で泣いているのが誰か確定できないため、分かり次第すべてがひっくり返る可能性もあると思ってます。分かったら教えて下さい。
あと探偵楽曲が種明かしの可能性もあると思ってます。
とりあえず考察やっぱり楽しかったです!

 

私が現場に行く理由と、終わりという未来の話

私は全通ができるわけでもない、弱いオタクです。

そう言ったら角が立つと分かってるけど、敢えて言います。この「弱い」は自分に向けた言葉だから。そのことが悔しいときもあるけど、自分にできる精いっぱいで応援したいなって思ってる。

そして少しずつ、めせもあ。を追いかけて、私の行動範囲が広がっているのは確か。まとまった期間がないと交通費を躊躇っていた遠征も、0泊3日の東京行きや愛知への日帰りでするようになった。むしろ宿泊費かからないんだからお得じゃん。親と一緒じゃない海外旅行も初めてで、韓国に行くのだって初めてだった。5ヶ月で現場に足を運んだ回数は10回を越えて、しかもそのうち2回を除けばすべて遠征。
こんなに早いペースで現場に通ったジャンルはなかったし、私を沼に突き落とした友達も驚いてた。

中学生の頃から、自他共に認めるアイドルオタクだったものの、ガリ勉学校&箱入りのダブルコンボで在宅を極めていました。ライブなんて、人生で何回かしか行ったことなかった。LV(ライブビューイング)は結構行ったことあったけど。そんな私が毎週末のようにライブに行くことになるなんて、想像もしていなかった。

なんでそんなに通うのか、って聞かれることがある。
会いたいからだよね、話したいからだよね、見たいからだよね。
もちろんそんな彼らの魅力は理由のひとつだけれど、それ以上に私を突き動かしているのは、見ることすらできなくなってしまうことへの不安と、そうなった時に後悔したくないからだ。



私が見たアイドル(やそれに準ずる)グループの終りのなかで、特に記憶に残っているものは三つある。
敢えてグループ名は出さないけれど、分かる方がもしいたら、そっと頷いていてほしい。

一つ目は、音楽性の似た若手俳優二人がタッグを組んだユニットだった。

私が初めて、リリイベや握手会に行ったユニットだ。
三つ目に挙げるグループの解散の直後に結成が決まったから、ユニットを組んだ瞬間から追いかけることができることが、とても嬉しかった。ずっとDVDやYouTubeニコニコ動画で見ていた舞台上の存在だった彼らが、目の前にいることが本当に幸せだった。一、二言だけでも交わすことのできた言葉が嬉しくて、長い長い手紙を書いた。シングルにアルバム、TV番組とのタイアップと波にも乗っていた。

アイドルってわけじゃないし、ロック系の曲調だから、長ければ30年くらい、短くても10年は続けられるよね?

けれど、わずか一年半で、そのユニットは活動中止を発表した。理由は分からない。片方のメンバーのブログはサイト自体がなくなった。

悲しむこともできなかった。ただ、突然、消えてしまった。
いつかまた、会えるのかな。四年たった今でも淡い期待はなくしていないけど、たぶん、一生見ることはできないだろうという予感はある。少なくとも、まだ表舞台に立っているもう一人のメンバーも確実に年を重ねていて、あの頃とは見た目も大きく変わってしまった。
顔ファン、って訳じゃないけど、もう絶対に同じ景色は見られない。それは、どんなグループでも同じこと。いつか再結成しても、今と同じ姿で見ることは絶対にできない。今は、今しかないんだって、当たり前のことを私は知った。



二つ目は、国民的アイドルグループに成長した9人組女性声優ユニットだった。
解散が決まってから映画でその伏線になるようなストーリーを展開したり、紅白に出演したり、ゆっくり解散を受け入れる時間を作ってくれた。でもその頃には、会いに行くには、あまりにも大きくなりすぎていた。

中高生の間から、ずっと大好きなグループだった。それこそ初期の、アニメ放映前。アイ○スとどう違うの?なんて言われながら始まったこと。知名度の低い声優さんばかりだったのに、アニメ化されて一気に人気になったこと。二期やゲームの展開で、一般の人にも広く知られるようになったこと。

その歩みを見ていたから、もう少し続くとどこかで思ってた。声優さんだから、他の女性アイドルより寿命は長いし。こんなに人気だし。ゲームもあるし。だから、いつか行けたらいいな。
そう思ってたら、解散が決まってしまった。高校生の三年間をモデルとしたアニメだったから、必然だったのかもしれない。ただ私が、その可能性から目をそらしていただけ。必死にチケットを当てようとした。円盤を積んで、友達と協力して出した。でも、当たらなかった。
なんでもっと早い段階で行かなかったんだろう。後悔してもしきれなかった。結局、LVで解散ライブを見に行った。

ぐうの音も出ないほど、美しい終わり方だった。アニメのストーリーと同じように終わりを迎えて、人気の絶頂で舞台を降りていく。きっと、アイドルとしては最高の結末。

でも、私のなかには大きな空白が残った。それは、大好きなグループがなくなったこともあるけれど、それ以上に、一度も生で見ることができずに終わった、どうしようもない後悔だった。




最後に挙げたいのは、時期的には前の二つのグループの終わりより、さらに前にあった出来事だ。それでもこのグループのおかげで、今の私は現場に行こうという気持ちが一番強くなっているから、敢えて最後に書かせてもらいたい。

それは、知名度をあげるために駆け出しの若手俳優を集めたグループだった。
彼らの多くはテニスのようなバトルをするミュージカルを代表作としていて、私たちがそのグループを知った頃には、そのミュージカルの出演を終えていた。年齢的にリアルタイムで追うことはできなかったけれど、歌もルックスも曲もとても素敵なグループだった。
でも、そのグループの人気は、過去の代表作を越えることはできなかった。

新しい道に進むとか、個人での活動が忙しくなってきたとか、たくさんの理由が語られた。一つ目のグループのような理由が分からないわけでも、二つ目のグループのような人気の絶頂でもない、曖昧な理由。
どちらにせよ、私たちがそのグループを本格的に推し始めた頃には解散ライブが決まっていた。
解散すると分かっているグループのCDを集めた。せめて一度でもライブが見たいと解散ライブの日程を調べたら、ちょうどハワイ旅行から帰国する日だった。どうやっても、行けなかった。
解散が近づいて更新されるブログ、発表される新曲、全部、全部が哀しくて、でも、好きだった。今でも大事にとってあるし、曲も、歌詞も覚えてる。微妙に離れた年齢のせいで、私と彼らの時間は交わることはなかった。

雨男のリーダーを持ったそのグループの解散ライブは、暴風雨だった。ハワイから帰国する飛行機は悪天候に巻き込まれて、なかなか着陸できなかった。ブツブツに途切れた、ニコ生の解散ライブを泣きながら見たことを、私は絶対忘れない。



この教訓を生かして現場に行ったけれど立ち消えてしまった一つ目のグループ、教訓をいかせずに現場に行かなかった後悔の残った二つ目のグループ。


その記憶が、私が現場に向かう背中を押す。





最後に挙げたグループの、ラストシングルの作詞は私の推しで、リーダーだった。ラストシングルの歌詞を、今でも鮮明に覚えている。

『はじまりあれば終わりあること 本当は誰もが知ってて』

明るい曲調に乗ったサビのこの歌詞がすごく悲しくて、今思い出しても心が辛くなるけれど、私のなかにはっきりと刻まれている。
オタク人生の教訓だ。

必ず、終わりは来る。忘れちゃいけない。

例えば、ジャ○ーズのようにTV出演がメインで長時間のライブの回数も少ない、比較的寿命の長い男性アイドルグループでも、40代を目処に終わりを迎える。考えたくないことではあるけれど、私は、いつも考えている。あと何年、続けてくれるのかな、って。

もう、これ以上大好きなグループの解散の瞬間に、後悔したくない。これからの人生が幸せでありますように、って、泣きながらかもしれないけど、笑顔で送り出したい。

それは、自分にできる限り、自分で満足できるくらい現場に行かなければできないことなんじゃないかと思うんです。




私は、多少曲やメンバーは知っていても、℃-uteのオタクではなかった。でも、彼女たちの解散ライブや、それを見たオタクたちの反応を見て、今までの後悔をたくさん思い出しました。
そして、自分が現場に足を運ぼうと思う理由も。

めせもあ。は特別なグループです。現場に行けるだけじゃない。たくさんお話しする機会があって、歌やダンスはもちろん、それだけじゃなくて直接勇気や元気をもらえる、そんなグループ。会いに行くハードルは手の届かない高さじゃない。
だから、私は何度だって会いに行きたいし、会いに行くと思います。




もし明日、貴方の推しグループが明日解散したとして、貴方は後悔しませんか。

悲しい、寂しい、はもちろんあると思うけど、そうではなくて、後悔、しませんか。




実は、今の私は、悲しくて辛いと思うけど、もしもしもしもし推しグループが明日解散しても、後悔はしません。自分にできる範囲、行ける範囲の現場は全部行っているから。

行けない現場も検討に検討を重ねて諦めてる。妹に何回も同じ交通機関を検索しているところを見られて、諦めが悪いって笑われながら、でもそうやって調べ尽くして諸々の理由で行けなかったことは、自分で納得できるから。

後悔するとしたら、もっと早くからめせもあ。のことを知らなかったこと。でも、昔のことは言い出してもきりがないし、そんな後悔を吹き飛ばすくらいの思い出が、もうできています。

これは、現場に行きませんか、という薦めです。
ジャンルは問いません、それでも、大切なものがなくなったときに後悔しませんか、という問いです。




『はじまりあれば終わりあること』

誰もが知ってること、貴方は忘れていませんか。

タイトル『ニバンセンジ』に関する考察

(※こちらはあるオタクによる歌詞の考察であり、想像による記述になります。ご了承ください。)


ご存知めせもあ。のソロ曲には、今のところメンバーの名前をもじったタイトルが冠されている。

『blue moon』はあおいくんの本名から自然を形容するためによく使用される「碧」をとり、碧い月の浮かぶ情景とロマンチックな恋を美しく歌った歌。
『白い服を君と』は白服さんの漢字を含め、彼のキャッチコピーでもある「君の心を漂白!」と夏の季語でもある白シャツの持つ爽やかさや初々しさを絡めた歌。
『気まぐれプリンス』はぷんちゃんの名前をそのまま使った題名ながら、友達も多くなかった、けれど好きなことには何より真面目なぷんちゃんの彼の人柄のなかに存在する「気まぐれなあいつ(=アイドルとしての気まぐれプリンス)」の出会いによって始まるアイドルストーリーを歌った歌。

『Is there RAL color』はぜっちゃんの名前の音を含み、RALやcolorという色規格に関するワードと歌詞中の「10の光」が対応している、(英語が苦手なため想像にすぎないが)本来疑問形の表現ながらクエスチョンを使わず、逆接的に10色の美しさを強調した歌。
『君と見た景色の先に』もとみたんの名前の音をタイトルに組み込み、二期生として入った彼の昔の姿を悪魔側に据え、彼の演技力や表現力を存分に使い、彼の見るアイドルとしての未来を歌いながら題名を上手く歌詞の結部へまとめあげた歌。

ここまで読んで、あるいは多くの方が気付いていることがあるはずだ。『ニバンセンジ』は二番煎じというワードも出てこなければ、そのような意味の歌詞もない。

そもそも、私は二番くんのソロ曲タイトルは『二番線、十時発』で爽やかな夏の恋愛ソングだと思ってたんだ!!!久しぶりに夏休みに会ってもいい、海に行ってもいい、山に行ってもいい!ほら、すごくありそうでしょ!!!!

だから、このタイトルが出たときは「はぁ~?」と声をあげたし、ツアーが半分終わろうとしている今考えてみると、タイトルと歌詞が一見合致していないように思える。
けれど、このタイトルは彼のソロにとてもぴったりなように思えてきたのだ。その理由について考察してみたいと思う。

まず、ご存知とは思うが二番煎じの意味を確認する。

にばん‐せんじ【二番煎じ】

1 一度煎じたものをもう一度煎じること。また、そのもの。
2 前にあったことの模倣で新味のないもの。

(デジタル大辞泉より)

これは彼の動画投稿時代からのHNであり、彼の前に執事服での踊ってみた動画をあげる投稿者がいるなかで、同様に執事服を着用した踊ってみた動画を投稿したことが由来となっている。
明らかに後者の意味でつけられた、ようするに「パクり」という名前で彼はアイドルになってしまった。なんかすごすぎる。

では、歌詞の方の考察に入っていきたい。

【ちょっと切りすぎた前髪を伸ばしてる途中でoh oh君に出会ったらどうしようかな】

分かってるじゃねぇか!なんでon眉にしちゃうの!眉毛が隠れてる長さが一番だよ!
彼が美容院に幾度に一喜三憂くらいしています。すぐ伸びると分かってるんですけど、いつも前髪切りすぎじゃないか。かわいいけど、ひたすらにバブい。

【「自信がないの」なんて悩んでる暇はないぜ
一分一秒を楽しんで行け】

とても彼らしいフレーズだ。彼は何でもそつなくこなすイメージがあるし、それを鼻にかけてるわけではないけど、自信がないなんて悩むことはなくて、とりあえず飛び込んでみよう!っていう明るさがある。ホルツのどこかで言ってたけど、「今日の悩みは今日のうちに。」を体現してる。

【いつだって僕たちは叶わない夢ばっか見てるよ
一瞬も後悔なんかしないように多幸感依存症】

いや、君たちは夢を叶えてくれるアイドルだから推してるんだよ?!叶っちゃってるよ?

でも、夢を描いてる時点では、きっと二番くんは叶わないって思ってるんだろうな、って。
中野のラストの挨拶でも言っていたけど、彼はメンバーのなかで一番、(本気じゃないという意味じゃなくて)確かな未来や夢の実現を最初の段階では信じてない。
けれど、「zeepが埋まったら、中野、行けちゃうんじゃね?って思った」発言からも分かる通り悲観的というわけでもなく、むしろ楽観寄りだ。

高い夢は叶わないって感じながらも今楽しいことをしたい!って前に進んでるんだろうな。そしてそうしている間に、叶わないと思ってた夢が叶うところまで来てしまって、また叶わないと思うような高い夢を掲げて進んでいく。

言い換えれば彼は限りなく「今」を見ており、「今」に生きている。不確かな未来を描くこともなければ、過去にとらわれて後悔することもない。彼の考え方のなかでは「今」が中心に据えられていると考えることができる。





今は叶わないと思っていても、いつか今になる明日や一年後は叶えているかもしれない、そのためにとりあえず今は今を大切にする。そんな彼にとって「叶わない」は、「まだ先のことすぎて想像もできない」くらいなんじゃないだろうか。

夢を叶うとか叶えるとか歌う歌は多いけれど、叶わない夢をここまで肯定的に歌えるのは、きっとそんな彼だからだろう。

メンバーのなかでも随一の心底楽しそうな笑顔や病むことが少ないところ、小さなことに喜びを見いだせる彼は、現実的でありながら今に幸せを感じるのが上手だ。
依存症なんじゃなくて彼自身の性格が自然とずっと、そうさせてるんじゃないかな、って感じ。

※繰り返しとなるサビの検討は最後にまとめて行うものとする。

【お気楽に all day all night 悩んでる暇はないぜ
階段はホップ、ステップで飛ばして行け

現実と夢の境界は曖昧 me mine 自分次第
いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな? 未体験希望症】

ほとんどが前述の通り。
現実と夢の境界は~のフレーズが前項の裏付けとなる。夢を叶わないと思っていた、思って進んでいるにも関わらず、叶ってしまった、叶うところに来てしまった経験を繰り返した彼にとって、現実と夢の境界はまさに曖昧だろう。
じゃぁ彼の今立っている場所は?彼自身は何者なのか?それを決めるのは、「自分次第」と提示した上で、この問いかけが続く。

『いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな?』

以前の流れからこれは、疑問の形をとった強調であると捉えられる。彼自身は、現状の自分を自分自身で「アイドル」であるとの判断を下したのだ。そうじゃなければ、「アイドルであっていいか?」という問いかけは発生しないからだ。

尊すぎる。

しかも、「いっぱしにアイドルしちゃってもいいかな」ときた。
「アイドルさせてほしいな」
「アイドルでいたいな」
「アイドルになりたいな」
でもなく、
「アイドルしちゃってもいいかな」
である。
この歌詞はi段の音が多く、さらに撥音や小さな「ゃ」の効果もあり、軽やかでかわいらしいイメージが強い。彼の爽やかさを引き出した上で、アイドルであることを鼻にかけない親しみやすさを引き出したフレーズである。最the高。

こんな子に未体験希望症なんて言われたら、まだしたことのない経験をたくさんさせてあげたくなるね。

【映画スターになりたい!けど、ミュージシャンも良いよな
あれこれ叶えたいんだ】

叶えたい、んだね。叶える、でも、叶わない、でもなく、叶えたい。

彼はやはり確かに輝く未来を信じたり期待をしているわけじゃなくて、そして「それに向かって頑張る!」といって宣言することもない。
彼の見ている未来は、希望形で表されるのが本当に適切だと私は思う。彼はきっとしたいことをして生きていて、だからこそ彼が変わってしまうとか恐れることもない。
今したいことをする先で、どうなるかは分からないけど、希望が叶えば嬉しいな、でも叶えたい夢は変わるかもしれないし、叶わなくても他にまた叶えたいことがあるな、今してることがそんな何かに繋がれば嬉しいな。
そんな趣旨の歌詞だと解釈すると、「あれこれ叶えたいんだ」は今までの一番、二番のAメロ、Bメロの具体例を示した上での、端的なまとめともとることができるのではないか。

【そうだ、今日はこの僕の二番目のバースデー
何度だって生まれ変わっていける】

ここで、二つの解釈が発生する。
「二番目のバースデー」をある特定の一日とするか、「今日」と称される日々のこととするか、である。
多くの方が「彼が二番煎じとなった日」、すなわち福岡公演の日、彼が初めて動画を投稿した日である前者の解釈を支持している。

一方私は後者の解釈を進めたいと考える。
今まで書いてきた通り、彼の考え方は、希望する未来があった場合、最初は「叶わない夢」として始まり、次第に「叶う夢」になり、「現実」になるという段階を踏む。つまり、彼はかなりの頻度で新しく、現実と夢の境界を自身で引き直す、すなわち「今」の更新を行っているのである。
これを、彼の生きる世界や見る未来が変わること、さらには彼自身の社会的立ち位置、大きな言い方をすれば世界における存在が変わることだとすれば、それは「生まれ変わる」と言えるのではないか。
「今」見ている世界を更新することで、「今の二番煎じ」も更新され、彼は叶わない夢だった場所に現実として立っている存在に生まれ変わるのだ。

また、「何度だって」という添辞が最も分かりやすくこの解釈を裏付けてくれる。彼にとっての「二番目のバースデー」は「何度も」あるのである。

さらにここで「二度目」ではなく「二番目」という言葉を選んでいることにも着目したい。彼の名前の「二番煎じ」からもじっていることは自明であるが、「何度だって」の記載から、二回目、という意味とは読み取れない。
では、何が二番目なのか。一番、二番、三番の二番。

ここでも二つの解釈が生まれうる。私はどちらかの判断はつかない(※すべての解釈は独断と偏見であり、正解はないのだが)。
けれどどちらもかけている可能性があるので記しておく。
一つ目は、この世界への誕生を一番大きなイベントとして捉え、毎日をそれに次ぐ、二番目の特別な日だとする解釈だ。生を受けるという本当の意味での「バースデー」を越えることはどうやってもないが、それに次ぐ二番目の、大きな生まれ変わる瞬間を毎日更新しているという意味に、読みとることができる。
二つ目の解釈は、まだ一番が見つかっていないとするものだ。趣旨としては毎日今までのなかで一番大きな生まれ変わる瞬間を更新している、という一つ目のものと同じになる。一方で、まだこれからさらに一番の生まれ変わりがあるかもしれない(そしてきっと明日更新される)という希望を読み取ることができる。
一つ目は今を最上級とする彼の考えに合致し、二つ目は毎日更新されることでどんどんそれより前の日の順位が落ちていくという論拠の弱さがある。しかし、前に引いた「zeepが埋まれば~」発言から、彼は遠い未来を「叶わない」と称しても、近い未来への確証も人一倍持っている。明日というかなり近い未来への希望という面では、二つ目の解釈は一つ目より広い可能性を与えられる。
以上のことからこの解釈は二つの可能性を残したいと思う。

ここだけなんでこんなかたくなったんだろ……??

【今僕から今世紀で一番大きなありがとうを伝えたいんだ】

もちろん一番で聞いても良い歌詞なんですよ。でも、ここまで来たからさらによさが分かるね。

まず今、で始まるサビは書いてきた彼の考えにぴったり。
「今世紀」を人の一生の長さに近いと考えると、彼はここで人生の「一番」を届けようとしてくれている。自分が生まれ変わることに関してはずっと「二番目」だった彼が、他者に伝えたいのは「一番大きなありがとう」なんだ。
ここでの希望形は、今までのまだ先のことすぎて分からない、叶わない希望ではなくて、「今」の彼の希望であると示すために、このサビの冒頭は「今」で始まるんじゃないかと。

「伝えるんだ」じゃないのは、先ほどの毎日一番が更新されるとする考え方もできるが、ここでは受け取り手への配慮だと考えた方が彼の考えに近いと感じる。前項の「今日」という比較的広い時間の捉え方からみる明日と違い、「今」に向き合う彼は、明日を考慮する程度は限りなく小さいと考えられるからだ。
自分は「一番大きなありがとう」を伝えたいけど、ちゃんと伝わるかな。届くといいな。それはもしもしもし一番大きなありがとうが届かなかった受け取り手がいても、それを責めたり悔やんだりしない彼のあり方を示す。

この「一番」を歌いながらツアーを回ってるのって本当にすごいことだって。毎回毎回これを歌いながら、今までよりも大きな、一番の、ありがとうを伝えたいって歌ってる二番くん。

尊いね。推すでしかない。

【ありのままの僕からありったけの言葉でありがとうって伝えたいんだ、今】

伝わってるよー!今、ちゃんと伝わってるよー!そして次に会うときはもっとおっきなありがとう伝えてくれるって知ってるよー!

【ちょっと切りすぎた前髪も意外と似合ってるってoh oh君に言われたらどうしよう、ねぇ】

そう言えば、出だしとここの「切りすぎた」が全部の歌詞で唯一の過去形なことに今気付いて震えている。
後悔しないように、って歌っていて、実際後悔なんてほとんどしていない彼が、「君」が気に入らないかも、ってそれこそちょっとだけ、気にしてる。
でも、それをきっと誰かが認めてくれるから、やっぱり彼は後悔せずに、過去にとらわれずに笑うんだね。

似合わないなんて言ってごめん。うん、前髪くらいもう気にならない。意外と似合ってるよ。ちょっとどじってるとこもかわいい。
推せる。

さて、ここまで考察してきて、やはり同じ結論にたどり着いた。
この歌詞に語義的な「二番煎じ」の要素は一切含まれていない。

では、なぜこのソロ曲のタイトルは『ニバンセンジ』なのだろうか?
それも、カタカナ。このカタカナに意味があるのではないか。そう考え、次にカタカナについて調べてみた。

片仮名【かたかな】

音節文字の一つ。日本語を表音的に表記する目的で、万葉仮名の漢字の字画の一部だけを採ったもの(伊がイ、呂がロなど)。また二がニ、八がハのように少画字の全画のこともある。

(百科事典マイペディアより)

カタカナが漢字の一部分であり、そもそも奈良~平安時代、漢文の訓読のために宮中の男性を中心に生まれたものであることは有名だが、このことはタイトルとは関係がなさそうだ。ここで、項目冒頭の「音節文字」について調べてみる。

…文字はこのようにその字の形や配列の仕方などに多種多様なすがたをみせているが,字とそれが表す言語の要素との関係から〈表意文字ideogram〉と〈表音文字phonogram〉とに分け,後者をさらに〈音節文字〉と〈単音文字〉(あるいは〈音素文字〉)とに分ける分類が一般に行われてきた。…

(世界大百科事典より)

厳密には完全に対ではないが、音節文字の含まれる表音文字(対応する音のみを示す文字)と表意文字(文字自体が意味を持つもの)は対照的に存在と言える。

このことから、タイトル『ニバンセンジ』は「二番煎じ」の意味からの脱却を指し、音としての「ニバンセンジ」、すなわち純粋に彼の名前を示しているのではないかと結論付ける。

(確かに他の踊り手さんのパクりだったのであろうが)「二番煎じ」という名前で活動してきた彼は、今やアイドルとして輝き、一人の個性ある人間として性格、外見、ダンス、歌などなど、記せないほどあらゆる点から多くの人に愛されている。
そんな彼の考え方や過去、未来に触れながら「今」を描いたこのソロ曲は、否定的な意味を持ちうる「二番煎じ」を、一人のアイドルとして彼を愛する人の口から発せられる呼び名、「ニバンセンジ」というタイトルがぴったりなんじゃないだろうか。



本当は映画スターやミュージシャン、二番サビ冒頭の「そうだ」などの考察も加えたかったがキリがなくなるので筆を置くことにする。

いい加減大学のレポート書こうな。
余談ですが、これだけ書きましたが彼は三推しです。推せる。

えりん(@erin_girls0301)

MeseMoa.にはまったモデルケース~ある薄桃イルミィの場合~

※滋賀京都公演の非公式宣伝アカウントができました。(私を滋賀公演に連れていってくれた友達と、私の二人で運営する予定です。)
ためになる情報や運営による写真、イラストなど、来られない方でも楽しめるようにしたいと思いますので、よろしければフォローしてみてください。

おいでよMsma.ホルツ滋賀京都 (@Msma_ShigaKyoto)
https://twitter.com/Msma_ShigaKyoto?s=09

はてなブログでブログを書いている知り合いイルミィが多かったのでこのサイトを使い始めた私ですが、調べているうちにどうやらジャニーズのファンの方が多く使っているんですね。
暇潰しに文章を読んだり書いたりするのが好きな私は、知らないアイドルさんに当てたラブレターのような長いブログを思わずだらだらと読んでしまいました。
そして何を思ったか、「私も書きたい!」と思ってしまったんです。

くっそ長い。普段からこれぐらい書ければレポートも一瞬で終わるはずなのにな。
好きなことはいくらでも書けてしまいますね。
そしてすごく気持ち悪い。オタクだから当たり前なんですけどすごいオタクっぷりだ。このラブレター、というか恋文といった方が雰囲気は近いのかもしれないけど、ひたすらに気持ち悪いぞ。お隣さんに怒られそうなほどの壁打ち。

本当に暇な人だけ読んでください。

色付けたりとかの配慮は一切ありません。完全なる備忘録、自己満足です。

ここ数日こんなにブログを書いているのは、きっとファンミが楽しみすぎてソワソワしてるからです。遠足前の子どもかな。まだ服しかスーツケースにいれてないんですけど。やばい。
ありがたいことに何度か接触に行かせていただいているものの、ブログを書いているうちに初心に帰りすぎて、ライブの予定があると思っただけで尊すぎて息が止まりそうなこの心持ち。生きてファンミから帰ってこれる自信がありません。
チェキ会の2ショや握手には何度か行かせてもらってるのですが、実はグルショは初めてです。私、死ぬのかな。「ありがとう」か「好き」かどちらかでも言えたらいい方でしょう。どうか日本語を発せますように、と願っている語彙力のないオタク。
『ありがとうの代わりに好きって言わせて』っていう某曲の歌詞は私のなかで殿堂入りしてるんですが、確かに「好き」の二文字の方が「ありがとう」の五文字よりハードルが低そう。

そんな長すぎる前置きはおいておいて、超抽象的だったブログに対し、超具体的に私がMeseMoa.に、めせもあ。の薄桃さんにはまっていった話を書いてみようと思います。

もう気づいていると思いますが、語彙がないコミュ障すぎる私は、接触のたびに悩み倒しています。さらにはリプを送ったあとに。向こうが覚えてるはずもないのに。
なんでこんなこと言っちゃったんだろう。きっと向こうに嫌な思いさせた。私なんかが行くより他の人が来てくれた方が嬉しい、楽しいよね。
そう考えること自体がひどく傲慢だと分かりながら、コミュ障オタクの性は止められません。

実はこのタイミングでブログを書いたのは、これも理由のひとつでした。
けれど、ブログを読んでくださった方にかけてもらった言葉が本当に嬉しくて。

初心を思い出した、とか、自分に重ねて泣いた、とか、自分もそうだったよ、とか、これからも推しさんのことを応援してあげて欲しい、とか。

私も書いてて、あの初めての日のドキドキを思い出したんです。
そして私と同じように、たくさん接触の機会があるおかげで、そのドキドキがアルバムのなかの写真みたいに色褪せちゃってたイルミィさんもたくさんいたはずで、だからいろんなイルミィさんに共感してもらえたんじゃないかな、って。

あの日の鮮やかな記憶でいっぱいになった今の私は、そのおかげで全てが尊くて、ライブの予定があるだけでにやにやしちゃう。ツイートの通知が来るたびにスマホ投げそう。オタクのあるべき姿に戻ったとも言える。
それなのに次の現場ファンミなことに死にそうになってるんですけど。

でも気付いたんです、私、推しさんについて『1行しか書いてない』。

そう、あのキラキラした景色のなかでも一番にキラキラしてた推しさんについて、ほとんど書いてません。
みんなそれぞれに一番キラキラして見える人は違っていて、だからこそめせもあ。は素敵なグループだと思うんですけども、だから今回は私をモデルケースに、私の見た一番キラキラしている宝物について書いてみたいと思っています。
何度でも言います、本当に、みんなみんなキラキラしてました。でもそれを書き始めたら、終わる頃には6月に入るよ。長すぎじゃん。だから今回は、推しさんに関してだけ書きます。
もはや、47ツアー滋賀公演のレポです。5ヶ月越しのレポって頭悪いね???でも書きます。弱い頭の記憶だから、違うところがあっても許してね。

私の推しは、MeseMoa.の担当カラー薄桃色、みんなのおっきい弟と呼ばれる『とみたけ』さんです。

そして、私が初めてのライブに行く前に一番見分けがつかなかったのも、とみたけさんでした。

私の生きてきた(というか今も生きている)環境にいる人たちは、『黒髪、眼鏡、ガリ勉』と3拍子揃った人ばかりです。
金曜でカラコンおバカキャラのとみたけさんとは、対照的でしかありません。金髪カラコン高身長ってだけで、もうみんな一緒に見える。怖い。

「抱負ってどういう意味?なにか抱き締めるのかなぁ?」

嘘だろ。

そんなこんなで、今は推しとなってるりらぶちゃん(MeseMoa.メンバーのとみたけさん、ノックソさん、二番煎じさんの3人のこと)はほとんど区別がつきませんでした。眼鏡をかけている二番煎じさんだけは少し同類っぽいにおいがします。

名前はなんとか覚えてるけど外見の見分けはつかない、話し方が平仮名なのは把握したけど歌声の聞き分けは全くできない、それに、ちょっと怖い。

そんな状況を見て、布教してくれた私の友人も、そして私自身も、私がとみたけさんを推すなんて天地がひっくり返ってもないと思っていました。

でも、たった二時間で天地はひっくりかえったんです。

1曲目、ZENBUが始まった瞬間、なぜか泣いてました。なんで。いくら涙腺ガバガバオタクとはいえ早すぎないか。
後からPVが出て、ずっと追いかけてきたオタクさんたちが号泣必至(ど新規の私も泣いた)の曲だと知るのですが、それにしてもだろ。メンバーの名前も覚えきれてないくせに。

何が言いたいかっていうと、もう、その瞬間から世界は、すっごくキラキラしてたんです。

『刻んだ歴史も全部、全部、全部、君とだった』

以前少し書いたのですが、私は、病的に記憶力が悪く、耳も少し遠いようです。
知り合いとイヤホンを分けあって曲を聞けばうるさい、といわれ、歌詞カードを見なければなかなか歌詞を聞き取ることもできません。

私はこの瞬間にこの歌詞を、きっと聞き取れていませんでした。でも、その意味は確かに理解しました。
田舎の小さなライブハウスいっぱいに、強い意思と笑顔を届けてくれる彼らの歌と、それに呼応するようなファンの歓声。

そこは確かに、アイドルとオタクが同じ時間と場所を生きている空間でした。

後方だったこともあり、最初はステージ全体を眺めながら、この人はあおいくんで、この人は気まぐれプリンスさん、あれ、この人誰だっけ?ってなりながら見ていました。
そこで私は急に冷静に気付きます。

『なんか、見た覚えのない人がいる』

流した涙も全部、うーっ!ってやった、あのかわいいおっきい人、誰だ。
恐らく、私の記憶が間違ってなければ、身長的にはあの怖い金髪の人たちの誰かのはず。
あれ、でも写真ほど怖くない。
ずっと見ていると、かわいいだけじゃなくて、RENBOで歌っているところはかっこいいな、とか、すごくダンスが丁寧だな、とか、気になるなポイントが貯まっていきます。

そのあとのMCで、彼が『とみたけさん』であることを知りました。


写真や動画で見たのと全然違う!気がする!
もう予習してきたことはすべて吹き飛んでいたので、「気がする」だけでしたが。そんなことより目の前の情報を処理することに必死。

そうこうしているうちに、2度目のショックが訪れます。天使がいる…、と思いながらてんてん天使を聞き終わった直後、雷鳴と共にステージに戻ってきた五人を見て、私は再び思います。

『なんか、見た覚えのない人がいる』

冷たい瞳と客席を煽るような口端の笑みは、どこか怖いのに目を離せなくて、魅惑的、って表現が一番近いかな。さっきの楽しそうなアイドルさんとは別人みたいで、息を飲みながらステージを見つめていました。
ラスサビのあと、とみたけさんがセンターで踊って歌うパートがあるんです。
その声と開いた両腕を見たとき、世界が夜空の色で埋め尽くされる気持ちがしました。暗い曲なのに、だからかもしれないけどなぜか、完敗だ、って思った。

その日のmagnetとMemory青春の光の歌唱メンバーに、とみたけさんが入っていたのは本当に幸運な偶然でした。

まだ名前も把握してないグループ見に行ったらね、ダンスメンバーと歌唱メンバー分かれてたら、視覚的に取っ掛かりやすいダンスメンバーを見ると思うんです。

でも、ダンスメンバーと歌唱メンバーに分かれるmagnetのなかで、私が一番記憶に残っているのは、『自分の歌割りがないときのとみたけさん』でした。

magnetはご存知のように歌唱パートが大きく半分に分かれていて、一人が歌わない時間が結構長いんです。このライブハウスでは、上手と下手の幕裏から照明が照らしているようなセットでした。
さすがにもう見覚えがない、なんて思わなくなっていて、それでも上下に分かれた歌唱メンバーとセンターで踊るダンスメンバーに目が足りないなぁと思いながら順番に見ていて、ふととみたけさんに目を向けたんです。

そこで見た、切なそうな笑みを浮かべながら、光に向かって手を伸ばしているとみたけさんが忘れられません。

すごく綺麗で、儚い絵でした。

Memory青春の光は、本当に懐かしい色がしました。のちにこれを歌っていた野崎弁当さんととみたけさんの二人が同郷だったと知るのですが、そんなことは関係なく、とても穏やかで優しい世界でした。

そりゃぁ覚えられないはずだよ。そう、私は言い訳しました。
一瞬一瞬、お客さんやメンバーの反応によって、とみたけさんの歌もダンスも表情も変わっていく。目を向けるたびに違う魅力を持ってるんだから。
(今でもCDで聞くShadow kissとラブチアと今だけは…、の声は別人なんじゃないかと思う。)
だから、目を離さないで見ていたい。

そう思い始めた私の背中を最後に押したのは、忘れもしない、滋賀1部のらきぼでした。
友達に事前に借りていたCDのなかでも気になっていた曲で、ちゃんとコールも覚えていた曲でした。

そのせいで、とみたけさんが落ちサビの入りのタイミングを間違えたことに、私でも気がついた。
最初は見間違いかと思いました。でも、違った。そのあとのとみたけさんは、泣きながら、それなのにすごく明るく歌っていたんです。

後に、その前のぜっちゃんのソロから既に泣きそうなのを我慢していて、間違えたことにびっくりして涙が出てしまっただけだと語られるのですが、私の方がきっとびっくりした。これは初めてのライブで見るべきものじゃないって直感があった。(そして今もう一度見たいとすごく思っています)

脳から指に直結したようなレポを書き連ねていたけれど、ライブ中の私の思考をほぼ忠実に追っています。
最後のMCを聞きながら、私はようやく情報で溢れかえった頭を整理しました。メンバーカラーと顔は一致してきました。名前はあだ名なら頭に入ってきた。
そして、涙を流しながら真摯に言葉を選ぶとみたけさんを表現するのに適切な言葉を、やっと脳が選び始めました。

端的に言えば、表現力豊か。
特に歌と表情は、どんな瞬間も見逃すことを許さないようなカラフルさがあります。
それでいて、MCではひどく飾らない人だなぁ、と思いました。楽しければ笑って、からかわれたら唇を尖らせて、そして、悲しいことがあったら泣くことができる、感情表現が豊かなひと。
この人の表現は芸術として、表現者として作られたものでありながら、人間としての魅力もそれに引けをとらないんだ、って思いました。

要するに『推せる』って思った。

会場を出てすぐ、小さな声で「あの薄ピンクの人気になった、名前なんだっけ」って友達に聞いたことは許してください。まだ夢のくににいるみたいにふわふわしていて、自信がなかったの。そして本当に、記憶力が悪いの。
とみたけさん。その名前をそれから忘れたことはもうないです。

2部は友達のおかげでとってもいい場所で見られました。上手の前から2、3列目。
前述の通り黒髪メガネに慣れている私は、茶髪で美人なお姉さんに囲まれて、代行の物販列でずっとイヤホンをしてスマホゲームをしながら俯いてた。そんな憂鬱だったはずのライブは嘘みたいに楽しくて、あっという間にすぎていって、あすひを聞きながら、「明日なんて来なければいいのに」って思った。今が永遠に続けばいいのに、って。数時間前の私に教えたら、きっと信じなかったよ。

それでも時間は進んで、2部ではばっちり決まったらきぼのとみたけさんの笑顔に寂しいけどまた素敵だな、って思って、最後の曲が、ご存知の通りむしゃむしょサンキューだった。曲だけ聞いていたときは、とりたてて好きってわけではなかったこの曲。

なんでだろう、今日はじめましてだったのに、無性に別れたくなくて、次に会う予定を無性に作りたくなった。
会いに来てくれてありがとう、みんなが滋賀に、私の家の近くに来てくれなかったら、私は友達に『家が近いから』って理由で(物販のお手伝いも兼ねて)誘われることはなかった。夢の国から帰る途中に(きっと)ダメもとで誘われた道が、そのまま夢の世界に続くことになるなんて、知らなかった。本当にいろんな偶然が重なって出会うことができたんだな、って思うと、絶対、今度は私が会いに行くんだ、って思った。
サイリウムだけが理由じゃなくて、少しだけ滲んだ水分も理由じゃなくて、目に見える全部がカラフルでキラキラしてて、その理由がもうすぐで掴めそうな気がしてた。

それが分かったのは、本当の本当に最後の瞬間でした。上手、とみたけさんのいる位置。

『むしょむしょーに会いたい、むしょむしょむしょーに会いたい』

最後のフレーズのあと、歌唱パートがなくなって、後奏のダンスの最中。

とみたけさんの唇が、確かに「会いたいよ」って動いた。

前にも書いたけれど、レスがもらえるとかそうじゃないとかって問題じゃない。
きっとそれは私ではない誰かに飛ばされていて、うーん、どれだけ都合よく考えても会場にいた全員に向けられてたのかな?ってくらい。
でも、決められた歌詞の枠を越えたそれを見て、『あ、私は今この人と同じ時を生きてるんだ』って強烈に思った。それはとみたけさんだけじゃなく、一緒に笑っているみんなも、10色に輝くライトを持ったオタクたちも。

その瞬間ステージとフロアが一気に繋がったような気がした。なんの変哲もなかった田舎町で、今まで見たこともないほど綺麗なイルミネーションのなかに放り出された気持ち。
ずっとアイドルという存在を、それこそ生きる次元が違ったり双眼鏡やプロジェクター、テレビで見たり、ずっと画面越しに見てきた私にとって、それは初めての経験だった。

ライブハウス規模のアイドルならよくあること、っていう人もいるかな。でもそのあと、いろんなご縁があっていろんなライブハウスでアイドルさんのパフォーマンスを見たけれど、同じ気持ちを感じたことはなかった。
理由を考えてしまえば、めせもあ。のメンバーがもともとハロオタだからだとか、今アイドルでいられることをどんなアイドルより嬉しく大事に思ってるからだとかあるのかもしれないけど、そういう名前を付けてしまうのは無粋だと感じたんです。
夢と笑顔と希望をくれるアイドルが、目の前にいた。それが全てだったんです。


会場を出て友達に言った言葉を、私は一生忘れません。

「ねぇ、世界が輝いて見える!」

そのまま帰りの電車で、五ヶ月前の今日、私はこのTwitterのアカウントを作っていました。
外灯もない、月の光だけが辺りを照らす帰り道、車ひとつ通らないから周りを気にすることもなく車道のど真ん中を歩いて、琵琶湖を眼下に望む自宅のドアを開けて、私は妹の部屋に飛び込んで言いました。

「今日ね、すごいアイドルに会ったの!」

最高のクリスマスプレゼントだった。
それから二ヶ月もしないうちに、私は中野サンプラザを訪れていました。

あおいくんの未来を切り開いていくような歌声に圧倒的なダンス。
白服さんのリーダーらしい重さのある言葉やステージ上で途切れることないアイドルスマイル。
ぷんちゃん(気まぐれプリンスさん)の伸びやかな高音とステージに立つ喜びが伝わる表情。

のっくん(ノックソさん)の一音一音大事に届けてくれる歌とファンの反応を見てくれる瞳。
二番くん(二番煎じさん)の澄んだ声と心の底から今を楽しんでいるような笑顔。
野崎さん(野崎弁当さん)の力強く優しい歌やずっと全力で熱を伝えてくれるパフォーマンス。
げるたん(フォーゲルさん)の大胆で挑発的なダンスと飾り気のない振る舞い。
にーちゃんの変貌自在の歌声にどんな瞬間も見逃さないでいるような強くて優しい目。

ぜっちゃん(ぜあらる。さん)の深すぎるくらいに愛に溢れた歌声と場の空気を守りつつ動かしていくトーク

もっと他の魅力あるよ、って推しの方ごめんなさい。
でも、たった数時間でも、名前も知らなかったみんなのこんなキラキラなクリスマスプレゼントを見つけたよ。

そしてきっと、その人の好みや経験によって一番のキラキラは違うと思うんだ。みんな違ってみんないい。

ただ偶然、演劇をやっていて、言葉を書いたり読んだりすることが好きな私だったから、とみたんのキラキラが私にとって一番キラキラして見えたんだろうな、って。

とみたん(とみたけさん)の、唇に乗せられる言葉にあわせて多彩に変わる表情や動き、声色、全部、全部がキラキラして見えます。

きっとそんなこと考えてないよ、って?それでもいいんです。

私の生きているのと同じ時間、同じ場所で、とみたんの口から時に桃のように甘く切なく、時にテーマパークのように楽しげな、時に夏の夕涼のように優しい世界が生まれること、それってすごい奇跡で、すごい幸せだなって私は思うんです。

あの日、ライブ会場からでて、真っ暗なクリスマスイブの夜道が、別の街みたいにキラキラして見えたとき。
もっともっととみたんの生み出すキラキラした世界が見たくて、追いかけたいって思ったとき。

あぁ、私はこの人を推すんだな、って思いました。

(個人的にとみたんの一番のキラキラは、(賛否両論もちろんあると思うんですが、)ちょこぼの『コスモ』のカバーの前奏と後奏の手を振る振りと、モーニング娘。の『fantasyがはじまる』のカバーのラスサビの裏メロです。
前者は花火大会を見ているような高揚感、後者は白馬に乗って駆けているような疾走感とわくわく感があります。 超個人的なおすすめ。)

平日だったらYoutubeに必ず動画が上がって、Twitterもだいたい毎日更新されて。同じ空のしたで生きている彼らのキラキラは、その息づかいが聞こえそうなくらいリアルで、毎日毎日増えていく 。

昨日の夜二番くんのnanaに上がった「世界は恋に落ちている」はとっても爽やかなアイスクリームの味がして、さっき更新されたにーちゃんのラインブログ「兄と姉-第2話-」は夏を前にした少し暑い風、とみたんの昨日あげた自撮りは飴玉みたいにカラフルで甘かった。



これからもどんどんキラキラランキングが更新されるんだろうな、って思うと、私は、早く明日が来てほしいです。
そう、めせもあ。ととみたんと出会ってから、私は明日が来ることが楽しみになりました。

私の明日の日に灯をともしてくれて、ありがとう。
今の私の思いは、それに尽きます。

やっと結論まで来たけど、本当にキラキラしか言ってない、語彙力がない。そして着地点を見失った。
でもオタクってそんなものじゃないですか。って、自己完結させてください。

これは、あるアイドルオタクがMeseMoa.の薄桃推しになった記録です。

(私が、知らないジャニーズのアイドルさんに関するブログを読んだように)もし暇潰しにこのサイトを開いた人、MeseMoa.の名前も知らない人、いるようでしたらぜひ調べてみてください。そして、ライブに行って下さい。

二時間で変わる世界って、本当にあるんだよ。

いい加減韓国に行く準備をしなきゃいけません。連日の更新も今日でおしまい。
もし韓国から帰ってきて私が生きていてさらに気が向いたら、また書くかもしれません。
冒頭のアカウントはきっと動かすので、よかったら覗いてやってくださいね。

MeseMoa.の、関西のホールツアーに来てください。特に、滋賀に。

前のブログ、たくさんのイルミィさんに読んでいただいて嬉しいです。

 

でも、気付いてしまった。

 

クリスマスイブから数えたらまだ五ヶ月だ。全然半年を機にじゃない!誰かつっこんで!自分でつっこむしかなくなっちゃったじゃん!って頭抱えてます。

 

 

 

そんなことより、イルミィさんに伝えたいことがあります。

それは、関西のホールツアーにぜひ来てほしいということです。

関西のホールツアーまで、もう時間がないです。

 

え?って思った方、いると思います。

兵庫大阪じゃなくて、私はあえて関西と言いました。

あと二週間を切っている兵庫大阪はまだしも、7月の、しかも三週目の滋賀京都なんて先の話。

そう思って、たくさんのイルミィさんが滋賀公演に来れなくなってしまうのではないかと思い、またブログを書くことにしました。

 

前のブログを呼んでくださった方はご存知かと思いますが、私にとって滋賀公演は特別な公演です。

もちろん、いろんなイルミィさんにとってそれぞれに特別な公演があって、だからこそいろんな地域のホールへの行き方とか、お勧めの周辺のお店だとかが拡散されていますよね。それってすごく素敵な文化だな、と思ってます。

 

今回の滋賀公演は、関東での群馬公演の翌日、しかも唯一の1部制、さらには田舎というお客さんの来にくい公演だと思っています。

またそれ以上に、早くに交通手段や宿泊施設を押さえなければ、会場に来ることができない、あるいは滞在する場所がなくなってしまう、といった大きな障害が考えられる公演です。

その理由は、後程説明します。でも、うまく利用すれば、とびっきりの旅の思い出ができるはずです。

 

それでも、私は、一人でも多くの人に滋賀公演に来てほしい。

 

それだけじゃなく、なんの偶然か、関西の公演は私や、同じくイルミィの私の妹と縁のある場所が多いです。

関西の公演に来るか悩んでいる人の背中を少しでも押すきっかけになれば、と思った次第です。

 

気になっている公演だけでもいいので、見てみてください。

今回は泣けるような話書いてません。

あ、でも、滋賀と最後の大切なことは必ず見てくださいね!

 

 

 

 

【兵庫公演】

 

 

 

1.アクセスのよさ

 

兵庫公演の行われる尼崎は、大阪から非常に近いです。遠方から来られる方、兵庫ではなく大阪に着くようにすることをお勧めします。

大阪駅に内接する阪神梅田駅から、急行もしくは特急で10分あれば最寄りの阪神尼崎駅に着きます。

ここから、川沿いの洒落た道を徒歩5分。めっちゃ近い。

建物自体も雰囲気のある素敵なホールです!

既におしゃれすぎて田舎者は殺されそう。

 

 

2.設備のよさ

 

アルカイックホール、また今回のツアーで使われるオクト共に、たびたび吹奏楽の公演に使われています。

実際に行ったことがあるホールなのですが、音響がすごくいい。恐らくツアーで回るホールの中では上位でしょう。

めっちゃいい音響の空間でみんなの歌を聴くことができるって最高じゃないですか??

 

 

3.気候のよさ

 

ホルツでめ。ちゃんが回る関西四都市の中でも、兵庫はひときわ空が高く、天気がいい町です。梅雨前のまだ暑くなりきらない時期、川沿いの並木道ととても居心地よく過ごすことができるはずです!

 

 

 

【大阪公演】

 

 

 

1.アクセスのよさ

 

兵庫公演の夜、大阪駅近辺で宿泊すれば、翌日の大阪公演もとっても行きやすいです!

大阪駅からJR大阪環状線外回り5分ほど乗るだけ。最寄りの京橋駅から徒歩5分

近すぎないですか。神奈川公演で15分歩いたこと、私忘れてないよ。

 

 

2.立地のよさ

 

なんだアクセスと一緒じゃん!って思った人、違うんです。最寄り駅の京橋は、複数の路線が交わる大きな駅。駅周辺にはショッピングモールや買い物ができる場所が多く、時間が余ったり何か忘れ物をした時でも安心です。

 

 

3.ご飯がおいしい

 

ごめんなさい、ここのホールだけは私も妹も直接行ったことがないから紹介が雑です。

でも大阪のご当地ご飯はぜひ食べて帰ってね。

大阪ならどこでもあります、京橋にはもちろん、たくさんあります。

ぜひ粉もん食べて帰ってくださいな。

 

 

 

それとなにより、のっくんの凱旋公演です!!!!!!

私が言うまでもなく、兵庫大阪の2DAYSはみんな来るやんなぁ?

だからここまでは流し読みでいいです。

 

 

 

 

★【滋賀公演】★

 

 

 

1.アクセスのよさ

 

またかい!って思ったあなた。本当です。

ごめんなさい、少し嘘ついた。(最寄り駅までの)アクセスのよさは、(田舎とは思えないほど)ピカイチです。

 

遠征組の皆さんはぜひ京都駅にお越しください。そこからJR琵琶湖線片道320円、20分ほどで最寄り駅の南草津に着きます。

 

東京駅から南草津まで、最短ルートを使えば、新幹線とJR琵琶湖線の2本、3時間以内でくることができます。ほんとです。意外と近いでしょ?

 

ちなみに琵琶湖線は京都駅の2、3番線ホームからの出発になりますが、琵琶湖線湖西線の二線が乗り入れているホームなのでご注意を。

ちなみに琵琶湖線のほとんどは、2番線からでます。

特に深い意図はありません。

 

南草津からは、お手持ちのスマホGPSを開いて、15分ほどてくてく歩いてください。それか、タクシーに乗ってください。

近くに道を聞ける人は残念ながらほとんどいないので、調べていくか、イルミィさんらしき人を見つけてついていってくださいね。

 

ちなみに、このとき民家のなかを通ることになります。道幅は私が両手を広げたくらい。ちなみに私の身長は152センチです。

残念ながらここからは琵琶湖は見えません。日の光を遮るものもないです。道端に草が生えてるくらいです。日焼け対策をしっかりして、心の隅で滋賀を感じながら会場に向かってください。田舎なのは否定しない。

 

そんな静かな周囲に気をつかいながら、ワクワクする気持ちを抱いて歩いていった先で、きらきらした彼らと出会うことができる感動は、田舎の醍醐味ですから。

 

 

2.ステージが近くて広い

 

このステージに実際に立ったことがあるのですが、会場キャパが700前後で2階席がないことに対し、ステージはたとえば愛知よりも奥行きがあり、兵庫よりも高さがあるような、バランスのよい大きなステージです!

今回のホルツで使われているセットが立てられても、十分な空間があります。田舎のホールと侮るなかれ。

しかも必ず一階席から見ることができるんです。

 

 

3.時間的にゆっくりできる

 

15時30分開場の1部制のこの公演は、遠方の方でも1.の通り、東京駅から3時間ほどで来ることができます。遠征なのに、朝ゆっくりできるんです。

しかも、16時開演なので終演は18時。

 

2部後チェキの当券の枚数も期待できます。

 

早ければ18時、遅くとも20時頃には帰路につくことができるのではないでしょうか。

 

 

4.ショッピングセンターや食事処がある

 

南草津の駅は、滋賀の中では栄えている駅です。

駅から会場に向かって15分のウォーキングをする前に、腹ごしらえや買い物を駅周辺でぜひしてくださいね。駅から離れた瞬間、ど田舎に迷い込んだ気分になるかと思いますが、駅周辺はたいていのことなら解決するはずです。

 

 

 

 

【京都公演】

 

 

 

1.アクセスのよさ

 

もう聞き飽きたって言わないで!

 

こちらは、なんと京都駅から徒歩圏内です。京都駅から徒歩15分。あるいは京都駅から近鉄で一駅乗った東寺、もしくは地下鉄烏丸線で一駅乗った九条の駅から徒歩5分です。

新幹線が乗り入れる駅から、夜行バスが着く駅から徒歩で行けるんです。信じられない。

 

 

2.楽しい

 

これ、大真面目に書いてます。

京都というと、バスや地下鉄で乗り継がないと、京都らしさを楽しめる場所につかない気がしませんか?

 

そんなことありません。京都駅や京都駅から徒歩圏内にも、「京都らしい」体験ができるところがたくさんあります。京都駅構内に入っている都路里中村藤吉マールブランシェといった抹茶を扱ったお菓子処やだし茶漬け えんなどの京都ならではの食事処、お漬物や木櫛のお土産は見ているだけで楽しいです。

駅向かいにある京都タワーは先日改装されたばかりで、若い人たちに向けたおしゃれなレストランや京風のお土産が並ぶ建物になりました。普通に上るのも楽しいですよ。

 

そして、京都の会場の最寄りにもなっている東寺駅ですが、その名の通り、東寺があります。

物販が早く終わって暇な方、1部と2部の間に時間を持て余した方。ふらりと東寺に行ってみてはいかがでしょうか?世界遺産です。めせもあ。を見に行ったら、すぐ近くで世界遺産が見れるってすごくないですか。私は毎日のように通っていた場所ですが、冷静に考えるとなんかすごくないですか。

五重塔は写真映えもするのでお勧めです!!

 

 

3.ご飯がおいしい

 

2.で書いたので割愛しますが、どこもお勧めのお店です。ぜひ。

 

 

 

ほら、滋賀と京都の2DAY、行きたくなってきたでしょう?

…でも、ここからが本題なんです。

 

 

 

★【滋賀・京都の2DAYSについて、絶対に知っておくべきこと】★

 

______

 

 

「なぁんだ、滋賀なんて田舎だから嫌厭してたけど、京都駅からも近いし安いし、時間も間に合うし、ちゃんとお店もあるんだね!じゃぁ行こうかな!」

 

一か月後にそう思ったあなたは、7/15の夜行バス、もしくは7/16の京都に向かう交通手段が完売していることを知り、そして京都のホテルが全て埋まっていることを知るはずです。

 

この滋賀公演の日、京都では祇園祭宵山といって、18時~23時のあいだ、京都の大通りを歩行者天国にして多くの屋台が出たり、祭囃子を演奏する男性陣を乗せた鉾を見ることができる祭りがあります。動員は30~40万人ともいわれます。

そして翌日の京都公演の日、お昼間に祇園祭の本祭が行われます。例年は平日のこの本祭が今年は祝日宵山も日曜日と被っていることもあり、滋賀公演のあとの京都近辺の宿泊施設も大混雑が予想されます。

 

現時点で、7/15の東京⇔京都間の夜行バスは、他の週に比べて、最低価格が1000円高い状態です。『祇園祭の帰りに、翌年の祇園祭の時期の予約をする』という話もよく聞くため、ホテルも現時点で数が少なくなっていると思われます。

直前で行こう!と思っても、チケットが手に入っていても、来れない可能性があるんです。

 

 

 

そこで、私から提案です!

 

このめせもあ。ホールツアー滋賀京都2DAYSを、祇園祭を含めたプランにしちゃいませんか?

 

滋賀の終了時間が早いことは【滋賀公演】3で説明したとおりです。ライブ終了が18時。2部後チェキに並んでも、20時頃には帰ることができるでしょう。

そして、祇園祭宵山18~23時

 

つまり、めせもあ。の滋賀公演と祇園祭宵山ははしごできるんです。

祇園祭宵山の会場は、京都駅から地下鉄烏丸線で4分の四条駅をでてすぐの大通りです。単純計算で、一時間もあれば行くことができます。

また、祇園祭宵山は23時時点での動員も例年10万人近いですから、2部後チェキを粘りに粘って21時まで会場にいたとしても、1時間は十分に遊べるんです。

 

いいね!って言いながら今ホテルを調べ始めた方、ホテルを京都駅近辺に取ることができたら、翌朝は徒歩15分で会場に着けます。夜遅くなっても朝十分にゆっくりできます。

京都でめぼしいホテルが見つからなかった方は、京都~南草津の間の駅にホテルを抑えるのはどうでしょう?さっき乗った琵琶湖線だから、なんとなく覚えていて安心感もありますよね。京都の近くとはいえ、滋賀は滋賀。混み具合も、そして価格も全然違います!

 

ツアー2DAYSを楽しみながら、観光に、京都一の祭りも楽しめる最強プランです。

 

 

 

え?そんな体力ない?

そう言いながら人混みの京都駅(この2日間は京都中が人で溢れかえっています)に戻ってきたあなたにも、とっておきのプランがあるんです。

 

先ほど乗った2番線の向かいの3番線に、湖西線という別の路線が乗り入れていることに気付くはずです。その電車に乗って6駅、320円20分。

京都からほど近いその駅は、美しい琵琶湖を眺めることのできるおごと温泉です。

遠征の疲れをいやして、ゆっくりできること間違いなしです。しかも、翌日の京都の会場へも30分強で行けてしまいます。

 

 

 

そう、滋賀と京都はとても近いんです。

京都府民や大阪府民には、県民県民とからかわれる田舎の滋賀ですが、他地域の人が思っているよりずっとずっと行きやすい会場です。

今回の滋賀公演は、遠征するには躊躇ってしまう条件が多いかもしれないけれど、ぜひ、来てみませんか。

 

直前で行きたいな、って思ってくださっても、来ることができないなんてあまりに悲しすぎるから。今のうちに、夏の旅行の計画、立てちゃいませんか。

 

 

MeseMoa.と出会ってからずっと遠征ばかりだった私の、2度目の地元公演です。たくさんのお客さんと、田舎まで足を伸ばしてくれる彼らを迎えたいな、って思ってます。

 

(数日後には韓国にいることほんとに信じられないですけど、帰ってきたら、)滋賀県で待ってます。たくさんのイルミィさんにお会いできますように。

 

えりん(@erin_girls0301 )

 

 

 

 

 

日本中のアイドルオタクに、知ってほしいアイドルがいます。

二次元、三次元問わず、あらゆるアイドルに半在宅で浮気してきた私が、湖の国から足を伸ばして、こんなにひとつの沼に入り浸ることになるとは思ってもみませんでした。

気付けば

MeseMoa.(旧むすめん。)

の沼に落ちて半年を迎えようとしています。
まだまだ新規の私ですが、せっかくの思い出を忘れたくない、そしてまだ知らない誰かに魅力を伝えたい、と筆を執ることにしました。

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もし今

めせもあ

に興味を持っているどこかの誰かに届いたとしたら、ぜひ、読んでほしいです。
欲を言うなら、

あらゆるアイドルオタクのあなた

に。

思いが溢れて長くなってしまいましたが、できれば全部。

時間のないあなた

は、色付きのところだけでもいいから。




※追記になりますが、私は学生時代をラブラ○ブに捧げたライバーでした。土日はコスプレや踊ってみたをして、ス○フェスをやりこんでいたオタクです。

勘のいい方には、分かったでしょう。私が彼らと出会った半年前の冬、大好きなアイドルを失ってしばらく、私は悲しみにくれていました。
そんな私の傷を癒すどころか、遥かに惹き付けていったのが彼らでした。
そして、彼らが○'sの踊ってみたをしていることを知ったとき、どれほど嬉しかったかということを。




話をもとに戻しましょう。

今の私はメンバーの

かっこいいところ、かわいいところ、素敵なところ、歌やダンスのいいところ、

たくさん知っていて、それをプレゼンしてもいいけれど、他の誰かがしてくれています。それこそ、ずっと古参の誰かが。

だからこそ、最近はまった私の切り口から語れることを語りたいと思います。

なので、このブログには、メンバーの紹介やお勧めの動画に関する記述は

いっさい

ありません。


というのもあれなので、とりあえずひとつだけ、一番メンバーの個性や魅力が光る動画をあげておきます。

https://youtu.be/_k69beILvyA

この動画を見て好きだな、と思った方は、以下のブログを読む必要はないかもしれません。
あっ、でも読んでもらった方がもっと興味を持ってもらえるかもしれないから、時間があったら読んでください。そして、他の動画も見てみてください。



このブログは、めせもあ。の動画や写真を見ても、

いまいちぴんと来ないな、と思った方

にこそ読んでいただきたいブログです。


私も、その一人でした。





めせもあ。のファンにはいろんなきっかけでなった方がいます。
そのなかでも私は、比較的

女の子アイドル

の方が好きなアイドルオタクでした。

そんな私が一発逆転めせもあ。の沼に転がり落ちたのは、後々知ったメンバーの魅力や曲、ダンスが一番のきっかけではありませんでした。


私がめせもあ。のファンになったきっかけは、

男性アイドルを推している方

はもちろんのこと、

女性アイドルを推している男性オタの方

にも通じる理由です。
そんな私だからこそ、書こうと思ったブログです。



どれだけ伝えられるか分からないですが、私が言いたいことはひとつだけです。

あるひとつのことをするだけで、きっとあなたはめせもあ。のファンになります。

なんて言ったら、ネットショッピングの販促みたいですね。でも、本当です。



『ライブに行く』



それだけです。
メンバーも曲も、覚えてなくたっていいんです。

信じられない、って言われるかもしれない。

でも、半年前のクリスマスイブ、私はそうして、イルミネーションよりも綺麗な景色を知りました。






私の一番の友人に、

むすめん。

のことを勧められたのは彼女とディズニーランドに行った帰りの夜行バス、9月の後半でした。

私と同じ、前述のラブ○イブやA○B48、ナナ○スといった女の子アイドルが好きな子です。
ちなみに私はそれにプラスして、うたの○リンスさまっ♪やあんさん○るスターズ!、D B○YSといった男性アイドルも好きでした。
けれど、J事務所を通らなかった分、一番三次元の男性アイドルとは縁遠かったかもしれません。

だからこそ、三次元の男性10人組、しかも

モーニング娘。のコピー

から始まった

ニコニコ動画の踊ってみた

出身のアイドルを紹介されたときはびっくりしてしまいました。

「クリスマスイブにあんたの家の近くでライブあるから来ん?」

伝えられた額があまりに

破格

で、そして家から本当に近かったので、私は

軽い気持ちで

1部も2部も行くことに決めました。

3ヶ月あれば、十分な予習ができると思ったことも事実です。





結論から言います。

ライブ当日、私はメンバーの顔と名前、メンバーカラーも

一致していなかった

し、コールも曲もぼんやりとしか

分かっていませんでした。

私生活の忙しさもありましたが、病的に記憶力の悪い私には、特徴的すぎる名前の10人を覚えることはできませんでした。当然歌割りも、どの色を振ればいいのかも分かっていませんでした。

ライブ会場に行けば綺麗なお姉さんがたくさんいて、根っからのオタクの私は

「帰りたい」

と友達に連呼してしまいました。
当時はまっていたあ○スタやM○スのイベントを近くのマクドで走りながら、なんでこんな軽い気持ちで来ることにしてしまったのか、もう来ることはないだろう、と思うほどでした。


数時間後には、自分の英断を褒め称えることになるとも知らずに。



私はどれだけ知らないグループでも、舞台に上がってくる瞬間には胸が高鳴るちょろいオタクです。
それでも、

名前も知らない彼らに涙を流した瞬間

は忘れることができません。

彼らは照明に照らされたステージの上で、本当に楽しそうに笑っていました。
そして、客席を見ていました。

レスをもらうとかそうでないとか、って話ではないです。彼らはステージに立ちながら、

『今同じ場所、同じ瞬間に生きていること』

を教えてくれました。

私はずっとアイドルが好きだったけれど、私にとってアイドルは、

歌やダンスで笑顔をくれる

存在であり、

『偶像』

でした。
でも彼らは、歌やダンスだけじゃなく、

同じ時を生きてくれる

存在で、それこそが私に笑顔をくれるんです。

誤解を恐れずに言えば、彼らは『偶像』ではありません。確かにそこに

心と熱を感じられる

存在で、

『アイドル』

です。



いろんなアイドルジャンルを通ってきましたが、敢えて言います。
31歳になったメンバーも、元教師だったメンバーも、大阪で仕事をしているメンバーもいます。そして全員、何かしらの

オタク

です。

それでも彼らは

『idol』

ではなく、どんなアイドルよりも

『アイドル』

です。

(後に私はその理由を知ることになります。それはまた後日書こうかと思います。)



事務所に所属したりしていない彼らの歌やダンスは、それぞれに

個性

があります。
会場で見ていると、彼らの見た目と歌、ダンスがするすると一致していきました。

きっと、どんな人でも

お気に入りのメンバー

が見つかります。
メンバーが多くてフォーメーションもよく変わるので、目が足りない!ってなるけれど、自然と目で追ってしまう人が、一人じゃないかもしれないけどきっといます。
私の場合は、くるくると表情が変わる

薄桃色

の彼でした。

各メンバーのソロではそのメンバーのサイリウムが大きく頭上で振られるため、1部の公演が終わる頃にはあんなに覚えられなかったメンバーのことがすっかり頭に入っていました。




1部が終わってから2部が始まるまでの1時間の間、ほとんど記憶がありません。

たださっきまで時間を潰していたマクドに戻って、あん○タもMマ○も体力が溢れていることなんて気にもせず、ひたすらに彼らのことを調べました。
なぜもっと早く

魅力

に気付かなかったのか、後悔しながら。




でも、逆に言えば、彼らのライブにはそんな力があるってことだと思うんです。

何も知らない状態で行っても、思わず心惹かれる力

があります。
その理由は、さっき記した通りです。

その後動画やTwitterを見てどんどん彼らの魅力を知っていったわけですが、やはり

現場

には変えがたいと思っています。
半年の間に10と少しの現場にお邪魔しましたが、関西圏での現場は初回を除くと一度きり、他はすべて遠征でした。



それでも行ってしまうのは、彼らは

夢を叶えてくれる

存在だからです。
誰にだって

諦めた夢のひとつやふたつ

はあると思います。私だってそうです。

でも、彼らは今、まさに、

夢を叶えている真っ最中

なんです。
それが私たちオタクにどれだけ

夢と希望

を与えてくれるのか、現場に行けばきっと分かります。

(このことについてもいつか書けたらいいな、と思います。)




嘘だと思ったあなたにも、信じてくれたあなたにも、朗報です。

今、めせもあ。は全国各地で

ホールツアー

を行っています。
今後は関西圏や中国、四国地方、北陸、北海道、東北、中部、東京と各地で公演があります。

そして、以下のリンクで

チケットが買えます。


http://md.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=EA060004

そう、

チケットが買える

んです。

手に入るんです。
これって、本当に、すごいことじゃないですか。


しかもホールのコンサートで

5500円

という破格の値段で、客降りもあります。
近場だったら、朝に

当日券の手売り

もあるので行ってみてください。さらに、1部を見て気に入ったら、2部のチケットが買えるんです。

あなたの住んでいる近くにも、彼らは来てくれるはずです。




私が最初に記したたったひとつのこと。

『ライブに行く』

ってそれが難しいんだよ!って思った人、たくさんいたと思います。
DVDやCDを積んで、友達に頼みまくって応募しても全然チケットが当たらなかったこと、たくさんたくさんあります。

でも、彼らのライブには、行くことができます。たくさんの人が見に行けるように、大きな会場でライブをしてくれています。


彼らはデビュー曲を、今のライブでも歌い続けています。

『画面の向こうじゃない、君の目の前で、僕らは生きてる』

私にとって、アイドルは憧れても願っても会えない存在でした。だからこそ、idolだと思ってた。

でもそうじゃない、一緒に夢を見させてくれる、同じ世界に生きてくれる彼らのことを、私は『最高のアイドル』だと信じました。


夢と笑顔と希望を届けてくれるアイドル

が全国各地を回ってくれている、そんなチャンスをどうか逃さないで欲しいです。




今でもはっきりと思い出せます。

田舎のクリスマスイブ、ライブ会場の回りは哀しいくらいに寂れていたのに、

『47の愛を込め、会いたくて会いたくて会いに来ました』

と歌っていた彼らを。

見慣れた町が、見える世界が、きらきらして見えました。
それは、夢と希望と笑顔の色でした。

「今度は私が会いに行く」、そう言って初めてした遠征を覚えています。

琵琶湖のほとりから出るマイナーな路線の電車が、私にとって夢へと続く航路になりました。



あなたの近くに、彼らは会いに来てくれます。どうか、一度でいいので会いに行って見てください。
その七色を越えた光は、見たこともない世界を教えてくれるはずです。




ここまで抽象的に長々と書きましたが次回はメンバーの魅力とかホールツアーの見所など具体的なことを書けたらなぁ、と思ってます。

これは私の例なので、もちろんメンバーの名前やカラー、曲、歌詞割りを覚えていくのに越したことはないと添えてこのブログを締めようと思います。



このブログを読んでMeseMoa.のホールツアーへ足を運んでくださる方が一人でもいることを願って。